音楽の新しい形を求めて。坂本龍一『async』記者会見レポート

■執筆者プロフィール

佐藤純之介

1975年大阪生まれ。YMOとTM NETOWORKに憧れ音楽活動を開始、90年代後期よりテレビや演劇の音楽制作の仕事を始める。2001年に上京し、レコーディング・エンジニアとしてJ-POPの制作に参加する。2006年、アニメソングレーベルである株式会社ランティスに入社。現在音楽制作部チーフ・プロデューサーを務める。多数のアニメ作品や、fhána、ORESAMA、TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND等のアーティストプロデュースを担当。

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 3月29日に発売された坂本龍一8年ぶりのオリジナルアルバム『async』の記者会見発表に立ち会えるという幸運な機会に恵まれた。「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」という本人の意向により、事前のサンプル盤での試聴が出来ず情報が皆無なまま、中咽頭がんを乗り越えて制作された待望のニューアルバムが、今までリリースされたどの作品の延長線上にあるのかを想像を膨らませながら会場であるワタリウム美術館に向かった。

 案内されるがままに会場の2階に入ると、5.1chにセッティングされているムジーク社製のサラウンドシステム(!!)と、縦型に設置されたディスプレイが並ぶ。ムジークのスピーカーと言えば坂本氏が自宅スタジオやコンサート等でも採用する高級スピーカーで、同軸型と呼ばれる複数のスピーカーユニットを直列に並べることで高域から低域までの音像をブレること無く再生できる数少ないスピーカーである。それが5.1chで設置されている事自体が非常に稀有なので音を聴く前から存在感に圧倒される。高谷史郎氏による映像は教授曰く「その場でリアルタイムで生成される」との事。NYの自宅スタジオの佇まいを切り取った写真をソースに使い、現実を非現実が侵食しているような映像がまるで白昼夢のようで長時間見ていても飽きない。

 

撮影:丸尾隆一

 

 間もなく始まったアルバム『async』の全曲試聴。1曲目「andata」の冒頭のピアノの音色から既に空気感が違う……その瞬間に気づいたのだが、一聴して明らかに音の解像度が違う。コンサート録音やサウンドトラックでは多数の24bit/96kHzで制作した音源が多数リリースされているが、オリジナルアルバムの制作のフォーマットとしては今回が初めての試み。ピアノの音一つとっても教授がその広大なダイナミックレンジをすでに手なずけている事が理解できる。他のフロアに展示されている自宅スタジオの写真を見ても数年前とは異なり、大量にあったデジタルシンセサイザーやサンプラーの大半が姿を消し、アナログシンセサイザー、アナログエフェクター、アナログミキサーとほぼすべての主要なシステムがハイエンドなアナログ機材に置き換わっている。これは24bit/96kHzやそれ以上に高音質なDSDフォーマット等ハイレゾフォーマットでの制作を念頭に置いたもので、デジタル音響機器に搭載されるDAコンバーターの特性によって周波数特性が制限される事を嫌った結果だと思われる。またアナログミキサーの導入で経由する回線が減り、よりダイレクトでS/N比の高いピュアな音をレコーダーであるProTools|HDへの録音が可能となる等、究極まで無駄を削ぎ落としたシステムを構築している事から近年のムーブメントであるハイレゾへの対応に強い意識を感じた。

 2曲目「disintegration」では、5.1chの音像をフルに活かしたミックスが施されており、プリペアド・ピアノの音色が現実では有り得ない音像の動きをし、否応にも緊張感が高まっていく。3曲目「solari」。ベーシックな音色はおそらく、Prophet-5とProphet-6の2台のシンセサイザーのパッド音を組み合わせたであろう美しい音色だが、意図的に歪ませている事でYMO「TECHNODELIC」の様な退廃的なイメージをも彷彿とさせる。上記に記したように究極的にピュアなレコーディング環境を手に入れながらも歪みを加味している事に、教授の深層心理で起こる葛藤を感じてしまうのは考えすぎだろうか……これ以上は、ネタバレにもなるので控えますが……。このハイレゾ24bit/96kHz&5.1chサラウンドバージョンの『async』は今のところ市販されていないので、渋谷ワタリウム美術館にて開催中の「坂本龍一 | 設置音楽展」でしか聴くことが出来ない。LPにしか収録されていないボーナストラック「water state 2」もここではサラウンドで聴ける。2017年5月28日(日)までなので、是非、実際に足を運んで究極の音像を体感して頂きたい。

 

 3階の展示では、アートデュオZakkubalanによるiPad,iPhoneを大量に用いてNYの自宅を切り取ったインスタレーションが。4階では「アピチャッポン・ウィーラセタクン」によるヴィデオ・インスタレーションが展開。それぞれの解釈で『async』を切り取っているのだが、スタジオの写真も充実しており、どのような環境で、どのような機材でこのアルバムが作られたかが手に取るように分かる。坂本龍一氏と映像作家ナム・ジュン・パイク氏が共演する切っ掛けを作ったワタリウム美術館ならではの近代的な映像展示が展開されており『async』をより多角的に鑑賞できる。

 

撮影:丸尾隆一

 

撮影:丸尾隆一

 

撮影:丸尾隆一

 

 試聴会の後に坂本龍一本人が登壇し本作についての興味深い話が伺えた。「“async”とは“ansynchronization”の略」との事で、YMOを皮切りにコンピューターを活用し完璧な同期する音楽で世界を圧巻してきた教授が辿り着いた解答が「非同期」という事に大変な重みを感じる。試行錯誤には約4ヶ月掛かり、満足いくまでには相当な時間が掛かったとの事。とは言え、1stソロアルバム『千のナイフ』やそれ以前の作品『分散・境界・砂』等でも断片的ではあるが「非同期」の実験が行われていた節もあり、40年近くの間温めていたアイデアを完結させるため、作るべきして作られたのが今回のアルバムだと感じた。それは過去のどの系譜にも当てはまらず、過去の映画音楽、テクノ、ポップス等の全てのジャンルをソースとして使用し、パッチ式シンセサイザーの様に変調され生み出さる音楽で、インスタレーション含め、聴く環境すらもモジュレーションソースになり、様々に表情が変わり続ける……これほどまでにリスナーに「音楽を聴く環境と姿勢」を求める作品は初めてかもしれない。長年に渡って聴き続けられる非常に耐久性の高いアルバムだと感じた。

 


 

「坂本龍一 設置音楽展 ryuichi sakamoto async」

会期:2017年4月4日(日)-2017年5月28日(日)
休館日:月曜日(祝祭日除く)
開館時間:11時より19時まで[毎週水曜日は21時まで延長]
入場料:大人1,000円 / 学生500円(25歳以下)
小・中学生:500円/70歳以上の方 700円
ペア券:大人2人 1,600円
会場:ワタリウム美術館 2階、3階、4階
交通:営団地下鉄・銀座線「外苑前駅」より徒歩8分
(青山通りを渋谷方向に向い、青山3丁目交差点を右折、1つ目の信号機左)
住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6
tel:03-3402-3001 fax:03-3405-7714
e-mail: official@watarium.co.jp

公式サイト:http://www.watarium.co.jp/exhibition/1704sakamoto/index.html

 

坂本龍一『async』

ハイレゾ|FLAC|96.0kHz/24bit

<収録曲>
01. andata アンダータ
02. disintegration ディスインテグレーション
03. solari ソラリ
04. ZURE ズレ
05. walker ウォーカー
06. stakra スタークラ
07. ubi ユビ
08. fullmoon フルムーン
09. async アシンク
10. tri トゥリ
11. Life, Life ライフ、ライフ
12. honj ホンジ
13. ff エフエフ
14. garden ガーデン