日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」 vol.14

Vol.14 Theme : 「転がらない石は苔だらけなのか

 

 去る7/3は奇しくも60年代を代表する二大アーティストの命日で、一人はあまりにも早過ぎたベースレスBAND、ザ・ドアーズのVo.ジム・モリソン。そしてもう一人はブライアン・ジョーンズ……ザ・ローリング・ストーンズの創設者にして名付け親です。リーダー不在のストーンズは今や世界を代表するロックンロールBANDにまで上り詰めてしまいましたが、果たして舵取りを失ったストーンズに一体何が起こったのでしょうか? 今回は誰もが知っているストーンズの、あまり知られていなかった歴史を、個人的な予測を交えて振り返ってみたいと思います。

 初期のストーンズ映像を観ると、必ず一人だけ垢抜けてて、堂々と振る舞うブライアンの姿が確認出来ます……それもそのはず、彼はミックやキースよりも社交家であり、およそ20以上の楽器を演奏出来るという超器用なミュージシャンでもありました。ドラマーのチャーリー・ワッツや、ストーンズのオリジナル・メンバーだったのに悪名高いマネージャー、アンドリュー・オールダムによってローディー兼サポート・キーボードに格下げされてしまったイアン・スチュワートといった、ストーンズ運営に関わる重要人物達をBANDに誘ったのもブライアンだし、ビートルズ以降チャラチャラしたビートBANDが雨後の筍のように頻出する中「俺達は本物のR&B(リズム&ブルース)しか演奏しない」と、バンドのコンセプトを決めたのも彼。ストーンズは結成当初からブライアンによる徹底的なイメージ戦略が成されていたのです。

 名曲「黒くぬれ!(Paint It, Black)」のシタールを皮切りに、「レディ・ジェーン(Lady Jane)」でのダルシマー、はたまた「アンダー・マイ・サム(Under My Thumb)」ではSAKEROCKを先取りするかのようにマリンバ、そして超名曲「ルビー・チューズデイ(Ruby Tuesday)」ではリコーダーと、ギターの腕前も相当な上に、数々の楽器を操ったブライアンは、社交的なライフスタイルに加えて、音楽スタイルも多彩な天才でした。

 しかし上記のヒット曲の大半はミック・ジャガーとキース・リチャーズの作品……そう、ブライアンは演奏の天才ではありましたが、作曲の天才では無かったのです。

 ここからは私見になりますが……BANDをやっているからと言って、全員がボーカルになりたいわけじゃないし、逆に超絶テクのボーカリストが曲作りに一切関与してないBANDも沢山いたりします……そう、BANDが10個あれば、目的や欲望も10通りあるでしょうし、個々のBANDメンバーの希望や展望を語らせたとしたら、事態はもっと複雑になるでしょう。おそらく、ブライアン・ジョーンズというBANDマンは、本当に純粋に<R&B>を演奏したかったのではないでしょうか。ストーンズがデビューした60年代初頭のロンドンでは、もっとピュアなR&Bが求められていたと思うのですが、ビートルズの台頭により、結果、世界的にも<POPなロックンロール>が求められるようになってしまい、そのズレが徐々にストーンズの中でのブライアンの居場所を無くしていってしまったのではないか……と考えるわけです。

 その証拠に、ブライアンの死後に発表されたソロ・アルバム『ジャジューカ』は、モロッコ周辺の民族音楽をフィールド・レコーディングし、後にスタジオにて編集・アレンジを加えた作品で、本人は一切演奏していないのですが、生来のR&B指向が行き過ぎて、よりピュアなブラック・ミュージックを求めた結果なのではないか、とも思うのです。ブラック・フィーリングを突き詰めるあまり、アフリカ音楽に回帰していく……という発想は、ミュージシャンとしてはとても理解出来ますし、何よりブライアンが愛してやまなかったドラッグとの相性も抜群だったのでしょう。

 ストーンズがヒットを飛ばし続け、大きなBANDになればなるほどドラッグに耽溺し、リハやレコーディングをすっぽかすようになってしまった彼は、1969年の6月、自ら作ったザ・ローリング・ストーンズからクビを宣告されたのです。その約一ヶ月後、ブライアンは自宅のプールで溺死体となって発見されます……自殺、他殺、諸説ありますが真相はもはや闇の中です。ブライアンの音楽的指向も同時に闇の中ですが、もし彼が生きていたならどんな作品をクリエイトしていたのでしょう……早過ぎたサンプリング感覚のアルバムを作ってしまった天才ミュージシャンですから、ゼッドやスティーヴ・アオキもビックリのEDMを創り出していたかもしれませんね。

 


 

ブライアン・ジョーンズ在籍時に発表されたストーンズの初期作をハイレゾで! 

The Rolling Stones The Rolling Stones No. 2
Out Of Our Heads Aftermath
Big Hits (High Tide And Green Grass) Between The Buttons
Their Satanic Majesties Request Beggars Banquet

 

ローリング・ストーンズ 配信一覧はこちらから

 


 
 
【日高央 プロフィール】
 
ひだか・とおる:1968年生まれ、千葉県出身。1997年BEAT CRUSADERSとして活動開始。2004年、メジャーレーベルに移籍。シングル「HIT IN THE USA」がアニメ『BECK』のオープニングテーマに起用されたことをきっかけにヒット。2010年に解散。ソロやMONOBRIGHTへの参加を経て、2012年12月にTHE STARBEMSを結成。2014年11月に2ndアルバム『Vanishing City』をリリースした。