松尾潔の「メロウな歌謡POP」第3曲目 松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」(1979)

第3曲目:松原みき「真夜中のドア~Stay With Me」(1979)

 

 昨年末、竹内まりやの武道館コンサートに足を運びました。前回2010年の武道館にもまして高い満足感を得ることができた素敵な時間でした。セットリストの中心は、ニッポン音楽業界のCDエラを象徴するヒット作であり、以降すべての女性シンガーのベストアルバムの作り方に大きな影響を与えたとされる1994年のベスト盤『Impressions』(セールスは4ミリオン!!)収録の名曲たち。1曲ごとに観客の感動が伝わるようでした。同時に痛感したのは、人生の機微を丁寧に歌いあげることが増えた近年の楽曲群の出来もすばらしく、それこそが彼女の最たる強みだという事実。還暦目前にもかかわらず懐メロショーに堕することがないのには然るべき理由があるのです。

 だからこそ、とここではあえて言わせてもらいますが、アイドル時代のレパートリーを唄うまりやさんには格別のかがやきがありました。なかでも79年のレコード大賞新人賞受賞曲「SEPTEMBER」は際立っていましたね。第1期竹内まりやの代表曲であると同時に、仮にこの国に「キャンパス・ポップ」というジャンルが存在するとしたらその金字塔と呼びたいほど。思い起こせば〈女子大生が動いているところ〉をぼくはテレビの竹内まりやで初めて見たように思います。

 なにせ「SEPTEMBER」の主人公の女の子は意中の男の子から「ディクショナリー」を借りちゃうんですよ。で、フラれたことに気づくと、辞書いやディクショナリーを返すときにそこから「ラブ」という言葉を切り抜くという。何でしょう、この甘酸っぱい THE レジスタンスは。優等生感に加えて中産階級感がつよいと申しますか。現役慶応大生だったまりやさんをヒロインに据え、キャンパス(日吉?いや三田?)を舞台にしたこのビタースウィート劇場の支配人は、そう松本隆にきまっている!

 というわけで、ぼくにとって「SEPTEMBER」はまず詞世界の印象が強烈だったわけですが、さきの武道館公演を観ながら痛感したのは、今さらながら林哲司による作曲と編曲も最高なんだなと。武道館では山下達郎のレギュラーにしてスーパーなバンドがオリジナル・バージョンに比較的忠実に演奏しており、達郎さんの原曲へのリスペクトぶりが伝わる内容となっていました。

 

 そんな林哲司が「SEPTEMBER」とほぼ同時期にやはり作編曲を手がけたのが、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」です。同時期という記憶に間違いがないかあらためて確認してみたところ、「SEPTEMBER」が同年8月21日、「ドア」が11月5日のリリースでした。キラキラな女子大生感を強調していた竹内まりやは当時すでに24歳、いっぽう歌声から大人の女の色香を放っていた松原みきがじつは芳紀まさに19歳だったという事実におどろいてしまいます。

 作編曲者が同じ林さんと知らずとも、この2曲の質感がどことなく似ていることは当時11歳のぼくも肌合いで感じとっていました。カッティングギターの用い方とかエレクトリックピアノの運指とか挙げていくとキリがないですが、象徴的なのはサビ前のタメ(ブレイク)でしょうね。ここでサビが来るぞ!というスイッチの入れ方がきわめて似通っています。まあその時代の音づくりの定番フォーマットのひとつでもありました。

 たしかNHKの人気音楽番組『レッツゴーヤング』だったと思うのですが、松原みきがジャズピアニスト世良譲と共に登場し、彼にはデビュー前からお世話になっていたと語っていたことを憶えています。恩人とまで言ったかどうかは記憶に定かではないですが。母親がジャズシンガーという出自をもつ彼女のボーカルは「真夜中のドア」でも隙あらばブルーノートスケール(ジャズやブルースで用いられる音階)に走ろうとしている。適度にハスキー、でも高音部になるときらめき出すその声にジャズはよく似合います。曲調だけではなく陰影ゆたかなそのボーカルスタイルが彼女に実年齢以上の成熟感を与えていたのですね。和製カレン・カーペンターと評されるように均整のとれた美しいボーカルの主である竹内まりやとはそこが対照的でした。昼のまりや、夜のみき。

 「真夜中のドア」には創作のインスピレーションになったとおぼしき洋楽曲が存在します。70年代のAORファンの間では古典として認知されている「It’s The Falling In Love」がそれです。一般的にはクインシー・ジョーンズがプロデュースしたマイケル・ジャクソンのメガヒット・アルバム『Off The Wall』(1979年)に収められていたマイケルとパティ・オースティンのデュエット・バージョンで広く知られています。同じ79年にはディー・ディー・ブリッジウォーターが、翌80年にはディオンヌ・ワーウィックもカバーしていますが、「ドア」が範としたのはこの曲の作詞者でもある女性シンガー、キャロル・ベイヤー・セイガーのオリジナル版でしょう。発表時期が「ドア」の前年の78年であることに加え、何よりサウンドとコーラス始まりという曲構成が似てますよ。ちなみに作曲者はデイヴィッド・フォスター、プロデューサーはブルックス・アーサーという大レジェンドたち。コーラスからはマイケル・マクドナルド(またも!)の綿菓子ライクな歌声も聞こえてきます。

 

 もとい、「真夜中のドア」であります。木漏れ日のような暖かみに満ちた「SEPTEMBER」との決定的差異をもたらしているのは、夜の情景を描いた歌詞。これを書いたのが三浦徳子であることに留意したい。松田聖子にデビュー曲「裸足の季節」から「夏の扉」まで5曲連続で詞を提供し、彼女のイメージの初期設定という大役を果たした三浦徳子なのです。6枚目の「白いパラソル」からは誰あろう松本隆がその役を継ぎ、ご存じの通り松田聖子はロマンティック街道を歩んでいくのですが、それ以前の三浦さん時代のセイコはかなり「元気っ娘」の印象でしたからね。

 「真夜中のドア」の主人公は活動的な女性です。よく動くし、よく泣きもする。自分の言葉で話す。ベッドでも饒舌だったかもしれない。そんな彼女が惚れた男がいた。情熱的な恋をした。でもそれも今では行きづまり、息づまり。男の変節は愚かな罪だが、それをつくったのは女、許さないのも女。女の過信と頑固もまた同様に愚かであるという神の視点がここにはあります。そして物語がある。「昨夜(ゆうべ)」と「あの季節」がフラッシュバックし、女はもはや現実と幻想が錯綜してその区別が判然としない。この錯綜かげんは非常に映画的で、いま聴けばアレハンドロ・アメナーバルの『オープン・ユア・アイズ』やポール・ハギスの『 サード・パーソン』といった映画を思わせもします。4分半の間にいくつか季節がめぐる構成は前年のヒットである大橋純子「たそがれマイ・ラブ」を少し意識したのかな。いや、あの時代にはよくあった構成ですからね。それだけ歌謡曲は物語の受け皿として機能していたということでしょう。

 ところで「真夜中のドア」のイントロのコーラスアレンジはシングルとアルバムとでは違っています。松原みき本人のボーカルがフィーチャーされたシングル版がぼくの好みなんですが、先程チェックしたところmoraにはしっかりそのバージョンがありまして安心安心。

 オリコンによれば「SEPTEMBER」は最高39位、セールス10.3万枚。「真夜中のドア」は最高28位、10.4万枚。いずれもトップテンどころか20位にも入っていなかったことに拍子抜けしてしまいます。でも心ある音楽ファンは瞬発的にではなく長きにわたってこの2曲を愛しつづけてきたのです。そもそも低温ヤケドのようにじわじわ効いてくる曲なのでしょうね。

 

 幸せなことに今ぼくたちはYouTubeで松原みきと世良譲の共演を観ることができる。世良さんが音楽監修を務めて毎回出演もしていたTBS『サウンド・イン“S”』で歌われたビッグバンド形式による「あいつのブラウンシューズ」です。好きな曲でした。その作曲者が竹内まりやの大学時代のバンド仲間である杉真理と知れば、人生や縁というものの不思議を感じずにはいられません。

 ちなみに松原みきは80 年発表のセカンドアルバム『Who are you?』の収録曲「Rainy Day Woman」で松本隆と邂逅を遂げていますが、これは「SEPTEMBER」や「真夜中のドア」ほどの注目を集めるには至りませんでした(ぼくは好きなんですが)。ソングライターのはしくれとして体験的に語るなら、やはり歌い手と作り手の相性というものはあって、だからこそ名曲誕生の現場は尊い光につつまれるのだと思います。いや、思いたい。

 

 ちなみに松原みきは2004年の秋に子宮頸がんのため亡くなります。44歳の若さでした。はてと思い世良譲のことを調べたところ、彼が亡くなったのも同じ年であったことを知り、ぼくはいま言葉を失っているところです。

 

 

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Light Mellow 松原みき/松原みき

 

 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。