ススム ヨコタ

プロフィール

デビューは1992年。当時ドイツのテクノの最有力レーベルであったHARTHOUSEからファーストアルバム 「The Frankfurt-Tokyo Connection」をリリース。同作が注目され、日本人として初めて、当時世界最大級のテクノフェスティバル、 ラブ・パレードに出演を果たす。

1994年、日本国内でもテクノに火がつき始める中、ベルギーのR&Sなどからリリースしていたケン・イシイらと共に 日本のレーベルSUBLIME RECORDSへと、リリースの中心を移していく。その後同レーベルよりコンスタントにリリースを続ける。
2002年に自身のレーベル「SKINTONE」をスタート。再びリリース活動の軸足をヨーロッパ圏へ移す。 その作品は、UKのLEAFやLO RECORDINGSなどのレーベルにライセンスされ、またも海外での評価は急上昇する。

1999年発表のアルバム「Sakura」では海外音楽メディア各誌で『ブライアン・イーノの再来』などと評され、 再び喝采を博すこととなる。
また、ビョークやレディオヘッドのトム・ヨーク、現代音楽家のフィリップ・グラスらもヨコタのファンを公言。 感度の高いアーティストから熱烈な支持を受けるなど、この時期のススムヨコタは、デビュー時以上に耳目を集める存在となっていた。 当時すでに体調を崩していた彼は海外でのライブ出演などのオファーを断っていた。 当人のメディア露出がないままリリースだけが続き、その作品はPitchforkなどの海外音楽メディアで取り上げられ、 ススムヨコタのパブリックイメージはいつしか孤高のアーティストという形で定着していくこととなった。

ディスコグラフィ

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