2nd LIVE開催! 男性声優キャララップバトルプロジェクト「ヒプノシスマイク」を批評家兼ラッパーが本気(ガチ)レビュー

男性声優キャラによるラップバトルプロジェクト「ヒプノシスマイク」。<イケブクロ・ディビジョン><ヨコハマ・ディビジョン><シブヤ・ディビジョン><シンジュク・ディビジョン>4つの陣営に分かれて個性的なキャラクターたちがラップで覇を競うストーリーで、演じる声優たち本人によるラップの歌唱、ヒップホップ界の著名なMC・トラックメイカーが参加した楽曲にも注目が集まっている。

8月26日(日)には品川・ステラボールにて「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd LIVE@シナガワ《韻踏闘技大會》」が開催。5月と7月にはこのライブに向けたスプリットシングルも発売され、ますます盛り上がりを見せるこのコンテンツを、『ラップは何を映しているのか』などの著書があり、自身もMA$A$HIの名義でラッパー/ビートメイカーとして活動する気鋭の批評家・吉田雅史氏に分析してもらった。「声優がラップをする」ということそのものの面白さに迫る内容は、「ヒプマイ」ファンのみならず音楽ファンも必読だ!

 

スプリットシングル 配信中!

  • 「ヒプノシスマイク Buster Bros!!! VS MAD TRIGGER CREW」

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  • 「ヒプノシスマイク Fling Posse VS 麻天狼」

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吉田雅史氏による「ヒプノシスマイク」レビュー

ラップとは、誰のための歌だろう。それを考えるために、ラップではない歌唱法で歌われるポップソング一般に対して、しばしば耳にする共感の言葉を思い出したい。それは「この曲は自分のための歌だと思った」というものだ。そこで歌われている歌詞に、自分が置かれている状況を重ね合わせるとき、まるでその歌が自分の視点から歌われているように感じられる。このような感覚が多くの人々に「届く」ことが「ポピュラー」ミュージックたる所以のひとつといっても過言ではない。そこで歌われるのが、文字数の少ない、抽象的な歌詞だからこそ、多くの人々の人生を代入することができるのだ。

しかしラップの場合はどうだろう。文字数を尽くして、徹底的に自らのリアルを描き出そうとする。ときとして観念的だが、極めて具体的な、出来事の記述。それは、他でもないそのライムを歌うラッパー自身の歌でこそあれ、基本的にはそれ以外の誰かが自分を重ねることができる歌にはなりえない。一人称の「俺」「俺たち」を主語にして語られる世界。

それは自分の歌でしかありえないのだから、リリックを書く人間とラップする人間は同一だ。演歌、歌謡曲、あるいはJ-POPのように、作詞家と歌手の分業体制が確立されている世界ではない。あるいはアメリカの一部の界隈のように、ラップのリリックを書くゴーストライターの存在が堂々と明言されているわけでもない。両者が別の人間であることは、少なくとも、従来は非常に珍しかった。

しかしここへきて、状況は変わりつつある。ラップは、多様性を獲得してきている。マイクを握るのは、生身のヒップホップMCだけではない。それはアイドルかもしれない。芸人かもしれない。VOCALOIDかもしれない。そして、二次元のキャラかもしれない。

リリックの書き手と歌い手の分業。これは多くの可能性を秘めている。もっといえば、ラップの外縁を拡張し、ヒップホップの核を希薄にしてしまうものかもしれない。ヒップホップのリリックで重視されるリアルとは、従来自身の経験を自身の言葉で自身にしか描けない方法で言語化することだからだ。しかし必ずしも実体験に基づくとは限らない出来事や世界をリアルに描くこともまた、文学や演劇、映画や音楽などにおいて「フィクション」という名の下に行われてきた営みではなかっただろうか。

 

この「ヒプノシスマイク」と名付けられたプロジェクトもまた、このラップの可能性を大きく切り開く試みだ。このプロジェクトの肝である「声優がラップをする」とは図らずも、ラップの書き手と歌い手がイコールで結ばれないということだ。それでは、両者の不一致は本作にどのような面白さをもたらしているのか。さらには、発語という意味で言葉の扱い方を熟知した12人の声優たちがラップをすることで、従来のMCたちと比較してどのような表現が可能になっているのか。

今回紹介する『Buster Bros!!! VS MAD TRIGGER CREW』と『Fling Posse VS 麻天狼』の2枚は、それぞれ、ディビジョン同士のバトル曲「WAR WAR WAR」と「BATTLE BATTLE BATTLE」に、各ディビジョン独自の楽曲を加えた構成になっている。

「WAR WAR WAR」のyuto.comによる不穏なビートの上展開されるのは、3 on 3のマイクバトルであり、いうなれば2つのディビジョンで合計6名によるマイクリレー/ポッセカットだ。8小節のタイマン勝負が3セット、ラストに2小節を6人で回す構成だ。ラストのマイクリレーで特に浮き彫りになるのは、ポッセカットの魅力だ。このマイクリレーの面白さは、順番に並ぶ各MCの声色やフロウの差異が大きければ大きいほど最大化する。サードヴァースの毒島メイソン理鶯の低音ヴォイスや、碧棺左馬刻の3連を基調にしたフロウのスタイルは、鋭いアクセントとなり楽曲を盛り上げる。前者は声優ならではの特性、後者はリリックを書くMCならではの特性が活かされている点で、両者が分業となっていることの相乗効果が表れていると言えるだろう。

すでに2017年に発売されている4つのディビジョンの楽曲群において作詞を担当した面々の中には、サイプレス上野、UZI、GADORO、そして三浦康嗣といった、ラッパーやラップの書き手が名を連ねていた。そして今回の2作でもそれは同様だ。EGOとTENZANによる「WAR WAR WAR」のリリックでもうひとつ特徴的なのは、いわゆるバトル文法の現出だ。これだけ日本にMCバトルが普及した今では普通になっているこのスタイルは、つい数年前まではそれこそバトルの現場でしか聞かれないものだった。自分のクルーと土地をレペゼンしながら、ふたつセットのいわゆる「ニコイチ」で確実に韻を踏むスタイル。「ヒプノシスマイク」の誕生は、バトルの文脈が培ってきたヴォキャブラリーとデリバリーの豊穣さを契機としている。たとえば冒頭の山田二郎の巻き舌べらんめえ口調、碧棺左馬刻の3連ベースの露悪的なライム(「クソガキ」「死になさい」)は、目の前の相手を辛辣にディスることに費やされ、チームバトルの中で立ち振る舞うMCという個が孕む臨場感の表出に成功している。

さらにここでは山田三郎の軽快なトーンだが堅実に踏みながら毒づくライムと、毒島メイソン理鶯のディープヴォイスがもたらす説得力(ラストの「この戦いなら我が軍の勝利」というラインの破壊力!)は、声優が演じるキャラだからこその世界観を見せてくれる。このようなバトル物の楽曲を聴くときのリスナーは、ステージ上のMCというペルソナが存在するとはいえ、これがあくまでもリアルを前提としたスペクタクルであることを了解していた。一方ここでリスナーが耳にし、幻視するのは、声優を媒介とする紛れもないフィクションだ。しかし一種のエンターテイメントとしてこれを享受するとき、果たして両者の間に横たわっているのは断絶だろうか。それとも可能性の梯子だろうか。

もう一方のバトル曲、KEN THE 390がペンをふるった「BATTLE BATTLE BATTLE」はRhymeTubeの展開の多いビートに並走するように、非常にプログレッシヴでテクニカルな仕上がりだ。冒頭の観音坂独歩のヴァースから、ニコイチだけでなく隙あらば韻を挿入し、冷静に相手を打ちのめそうとする。特に4ヴァース目の夢野幻太郎のビートからアウトするリーディングライクなセリフ回し、5ヴァース目の神宮寺寂雷の豊かな声質で奏でられる3連符をベースに1音引いたテクニカルなフロウ、それとは対照的なハイトーンでキックされる6ヴァース目の飴村乱数のライムは、「WAR WAR WAR」同様に従来のヒップホップの楽曲では味わうことのできなかった感覚をもたらす。

各ディヴィジョン単体の楽曲にも目を向けよう。Buster Bros!!! の「IKEBUKURO WEST GAME PARK」は生バンドによるファンクチューンで、BPM速めのビート上で短いフレーズを基本に回す三兄弟ならではの息のぴったり合ったマイクリレーが特色だが、終盤のビートボックスを挟む展開含め、オールドスクールへの目配せも見て取れるのが興味深い。

MAD TRIGGER CREWによる「Yokohama Walker」は同じく生演奏を主体としたビートだが、こちらの目配せはもちろんウエストコーストのG・ファンク的スムースネスをまとった、夜の港町を流すのに特化したサウンドだ。リリックも同様に「ハマの狂犬」「notorious」などハードコアなギャングスタラップを想起させるライムをベースに、警官、ヤクザと元軍人という多視点の組み合わせから街の陰部を描くが、やはりフックでのユニゾンも含めCrazy Mこと毒島メイソン理鶯の低音ヴォイスが効いている。

Fling Posseによる「Shibuya Marble Texture -PCCS-」はAFRO PARKERが手がけるブリブリのベースラインとヨレるハット、フルートが印象的なファンキーなポップチューン。ここでもデザイナー、作家、ギャンブラーという個性的な面々によるマイクリレーがもたらすギャップがフィクショナルなラップの可能性を感じさせる。特にPhantomこと夢野幻太郎の「なんてもちろん嘘ですけど」で結局はひっくり返される文学調のリリックは他のふたりとのコントラストがはっきりしており、3人チームでのマイクリレーに絶妙なスパイスとなっている。

そして日本語ラップ愛好者に最もアピールするかもしれない楽曲が、麻天狼による「Shinjuku Style 〜笑わすな〜」だ。ラッパ我リヤのふたりのペンによるヴァースは普段のふたりの押韻とフロウのままで、ラッパ我リヤの最新作『ULTRA HARD』でも数曲でフィーチャーしていた中毒性のある歪んだギターリフが牽引するビートとも相まって、まるで彼らの新曲であるかのような錯覚をもたらす。しかしIll-DOCこと神宮寺寂雷の低音ヴォイスは抜群の相性をみせ、DOPPOこと観音坂独歩もオートチューンが薄くかけながら、山☮マンのそれを想起させるイレギュラーな押韻を巧みに乗りこなす。そして一二三も合流するフックの破壊力。

ジョジョで言うところのスタンドのように、リリックの書き手の姿が透ける。たとえば中島みゆきのような独特な世界観を持つシンガーソングライターが様々な歌手に提供する詞が、否応なしに彼女の存在を逆に浮き彫りにするように。しかしそこでは逆に、歌い手自身の個性もまた、際立つことになるだろう。誰が書いたリリックを歌っても、巧みで個性的な歌唱法=フロウで自分のものにしてしまう、という賛辞を受けるラッパー。もっと言えば、その賛辞を受け取りうるのは、ラッパーだけに留まらないのだ。声優という関数がラップにもたらす方程式の答えは、まだまだ未知の可能性を秘めている。

 

吉田 雅史(よしだ・まさし)
1975年生まれ。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。批評家/ビートメイカー/ラッパー。『ele-king』や『ユリイカ』誌などで音楽批評中心に活動、『ゲンロンβ』で「アンビバレント・ヒップホップ」連載中。ビートメイカー/ラッパーとしては8th wonderでの活動の他、直近ではMA$A$HI名義でMeisoのアルバム『轆轤』をプロデュース。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著)。訳書に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』。

 


 

■イベント情報

<公演名>
ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd LIVE@シナガワ《韻踏闘技大會》

<日程>
2018年8月26日(日)

<会場>
品川ステラボール

<開場/開演>
17:00/18:00 (予定)

<出演>
木村 昴、石谷 春貴、天﨑 滉平、浅沼 晋太郎、神尾 晋一郎、駒田 航、速水 奨、木島 隆一、伊東 健人、白井 悠介、野津山 幸宏

 

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