ピアニスト 白石光隆「ニーノ・ロータと久石譲 ピアノ作品集」リリース記念インタビュー

アルバムについて        木幡 一誠

 

 映画音楽の分野で極めた業績と名声によって、作曲家、ひいては音楽家としての全体像が見えにくくなっている。そんな人物がいるとすれば、イタリアの生んだニーノ・ロータ、そして日本の久石譲はさしずめ最右翼の存在ではないだろうか。奇しくも共通点を持つ2人の音楽に共感を寄せるピアニストが、深々と響く美音によって、彼らの魅力を解き明かしてくれる。耳にはいたって優しく、しかし聴き終えて胸に深いものを残す。そんな楽の音が刻み込まれたアルバムだ。

 

 母親が優れたピアニスト、母方の祖父は作曲家という環境のもとミラノに生まれ、幼少時から楽才を発揮したニーノ・ロータ(1911-1979)。早生した父を偲んで書き上げたオラトリオの初演が“モーツァルトの再来”とまで称される成功を収めたのが11歳の年のことである。翌1923年にはミラノ音楽院に入学。イルデブランド・ピツェッティに作曲を学んだ後、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院ではアルフレード・カゼッラにも師事するなど、ときのイタリアを代表する大家たちから薫陶を受けた。1931年には渡米してカーティス音楽院で研鑽を積み、アーロン・コープランドやサミュエル・バーバーをはじめとする作曲家たちとも親交を持つ。帰国してからミラノ大学で文学と哲学も修めた後、創作活動のかたわら後進の指導にいそしみ、1939年から教鞭をとったバーリ音楽院では1950年から1977年まで学長の地位にあった(教え子の1人が指揮者のリッカルド・ムーティ)。

 1950年代から手を染めた映画音楽の世界で巨匠の座にまで登り詰めたロータだが、本業はあくまで純然たるクラシック音楽の分野だと公言している。代表作の歌劇「フィレンツェの麦わら帽子」(1955)や、実演や録音で接する機会も少なくないトロンボーン協奏曲(1966)をはじめとして、5つの交響曲(1939-1975)、さらには多種多様な編成の室内楽から、彼自身が優れた弾き手でもあったピアノのための作品まで、広範な分野に多数の楽曲を送り出した。新古典主義的な装いの中へ、修業時代に吸収した音楽的な“モダニズム”の感覚を洗練されたタッチで盛り込んだ作品群は、近年とみに再評価の機運が高い。当アルバムに収録のピアノ曲によって、そのエッセンスに触れてみよう。

 1964年に書かれた「15の前奏曲」からは、以下の5曲が抜粋されている。第2番“アレグロ、マ・エスプレッシーヴォ・エ・デリカート”、第6番“アンダンテ”、第9番“アレグレット・クアジ・アンダンティーノ”、第10番“アレグロ・モッソ・エ・マルカート”、第13番“アンダンテ・カンタービレ”。半音階的なシフトを巧みに配した旋律や和声、そして律動的なリズムを彩るオスティナート音形の用法などは、ストラヴィンスキーやプロコフィエフといった作曲家と“同時代”の空気を呼吸してきた人物がロータであることを納得させるに十分だ。

 「戯れるイッポーリト」は1930年の所産にあたり、恩師ピツエッティの50歳の誕生日を祝って作曲された。タイトルはまだ幼かった恩師の愛息が遊んでいる姿に由来する。    

 「子どものための7つの小品」(「子どものための難しい7つの小品」というタイトルを掲げた資料もある)は、音楽院の要職をつとめていた彼が、1971年から1972年にかけて教育的な目的も踏まえて書き上げたもの。ここではその第1番「ジャンプとゲーム」、第4番「小さな階段」、第7番「アクロバット」の3曲が演奏されている。いずれも標題に沿って仕立てられた簡潔な小品だが、限られた音素材から引き出す多面的な表現は、さすがに大家の筆によるものといえるだろう。

 

 久石譲(1950-)を“ミニマル・ミュージックの日本における先駆者”とまず紹介したら意外に思われる方も多いだろうか。国立音大在学中の頃から、テリー・ライリーやスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといった、1960年代から70年代にかけてのアメリカにおける“ミニマル”的な潮流を担った面々の音楽に久石は大きな影響を受け、自らのユニットも結成してコンサートやレコーディングに乗り出すなど、果敢な活動を展開していた時期があるのだ。その一方、映画やTVアニメなど映像音楽の分野でも作・編曲家として実績を積んでいた彼にとって、1984年に公開された宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当したことが大きな転換点となった。

 これを契機として長らく続いた宮崎監督とのコラボレーションが、世のリスナーから愛聴される名曲の宝庫とも呼べる一連のフィルムスコアに結びついたことは改めていうまでもない。活躍の場もさらに大きく広げながら、映像作品の第一人者としての地位を久石は築き上げてきた。近年の彼は活動の場を“クラシック”寄りにシフトさせ、オーケストラとの共演の機会もとみに増えてきている。ベートーヴェンやブラームスの交響曲、さらにはストラヴィンスキーの「春の祭典」のCDまでリリースするなど、指揮者としても注目度が上昇中だ。(2021年4月には日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任)。

 ここに聴く7曲は、すべて久石自身の編んだオリジナル・ピアノ版を用いた演奏である(映画のタイトルに関して、特記ないものは宮崎駿監督作品)。

 「One Summer’s Day」は『千と千尋の神隠し』(2001)のオープニングの場面を飾っていた音楽(そのサウンドトラック盤での曲名は「あの夏へ」)を元にしている。

 「HANA-BI」は、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞に輝いた、北野武監督による映画(1998)のタイトル。フィルムスコアでは弦楽合奏も印象的に用いられていたメイン・テーマのピアノ独奏版である。

 「Ashitaka and San」の曲名は『もののけ姫』の主役2人、アシタカとサンのことだ。枯れ果ててしまった森に緑が蘇る、映画の大詰近くに置かれた感動的なシーンを、この曲から脳裏に浮かべる方も多かろう。

 「Innocent」は『天空の城ラピュタ』(1986)のエンディング・テーマによるインストゥルメンタル・ヴァージョン。映画では「君をのせて」の曲名のもと、ストーリーと密接に結びつく歌詞を伴っていた。

 「The Wind Forest」を耳にすれば、『となりのトトロ』(1988)の名場面が連想される。主人公たちがトトロに乗って夜空を散歩し、いつの間にか眠ったまま帰ってくるという、映画のテーマとも結びつく象徴的なくだりだ(その背景で鳴り響いていた音楽には、サウンドトラック盤で「風の通り道」のタイトルが与えられていた)。

 「人生のメリーゴーランド」は『ハウルの動く城』(2004)のメイン・テーマに基づく。ちなみに映画全編でこのテーマが繰り返し登場して、いわば単一主題的な発想のもとで印象的な役割を果たすのは、宮崎監督の要望によるものらしい。

 「Oriental Wind」は、2004年から2012年までサントリー緑茶「伊右衛門」のCMに用いられたことでおなじみの1曲(その後も別の楽曲で久石が担当)。

 ニーノ・ロータが残した150作以上ものフィルム・スコアは、名匠フェデリコ・フェリーニ監督との共同作業を抜きに語れない。フェリーニが自伝的要素を盛り込んだ「アマルコルド」(1973)。現実と虚構を行き来する構成の「8½」(1963)は映画史上屈指の傑作と誉れ高い。「甘い生活」(1960)では上流階級の自堕落な日常が象徴主義的な映像美で描かれる……。いずれもその銀幕にロータの音楽が伴うことで、作品として完成の域に達したものといえるだろう。ちなみに、上記の作品でフェリーニはアカデミー賞やカンヌ映画祭など数々の賞に輝いているが、ロータにとってその手の栄誉として初めてとなるアカデミー賞作曲部門賞をもたらしたのは、若干の皮肉ながら、1975年のハリウッド映画「ゴッドファーザー・パートⅡ」だった(1973年の「パートⅠ」はノミネートのみ)。

ニーノ・ロータと久石譲 ピアノ作品集

白石光隆(ピアノ)

ニーノ・ロータと久石譲 ピアノ作品集_白石光隆(ピアノ)

 

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