メルドー流バッハ、ここに極まれり。「平均律クラヴィーア曲集」に現代ジャズピアノの旗手が挑む『AFTER BACH』

インプロヴィゼーションの源流をバッハに見たり――。メルドー流バッハ、ここに極まれり。

バロック音楽の大家、J.S.バッハ。クラシック史最重要作曲家の1人である彼だが、それだけでなく、鍵盤楽器奏者、そして即興演奏の大家として当時は広く知られていたという。
現代では知ることが難しい、そのバッハの即興演奏の大家としての面を、現代ジャズ・シーンを牽引するピアニスト、ブラッド・メルドーが独自の感覚と解釈で紐解く! そんな大胆で革新的な作品が誕生した。

 

After Bach/Brad Mehldau

Brad Mehldau
『After Bach』

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本作『AFTER BACH』は、そのJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から4つの前奏曲、そして1つのフーガを取り上げ、それらの後に、それぞれ対応する楽曲にインスパイアされたメルドーの手による”After Bach”(バッハ流の)楽曲が続く。アルバムの幕開けを飾るのは、メルドーによる「Before Bach: Benediction」、そして締めくくるのも彼による「Prayer for Healing」。バッハをテーマにした12曲が並ぶ作品。

 

ノンサッチのレーベル・メイトである作曲家/ピアニストのティモ・アンドレスは、本作をこう説明している。

 

「プロのオルガン奏者としてのバッハは、その演奏のかなり多くが即興という手法を取ったものであり、当時、彼が最も尊敬を集めていたのは、その即興演奏の巧みさと複雑さだった……それから300年以上経った今、ブラッド・メルドーはその伝統を受け継ぎ、バッハの芸術の苛立たしいまでに知られていない部分に新たなものを付け加えた」

 

さらにティモはメルドーについてこう分析もしている。

 

「メルドーのスタイルには、バッハを思い起こさせる要素が常にあった、特にその厚く織り合わされた音とか――でも彼は、一生懸命真似しようと思っている訳でも、飾り立てた演奏をしようと思っている訳でもない。『AFTER BACH』は、むしろ、(バッハとメルドー)二人の鍵盤奏者、即興演奏者、作曲家としての共通点を調査し、暗に示されていた相似点をはっきりさせているのだ」

 

ここ日本では「音楽の父」とも呼ばれているように、作曲家・演奏家としてだけでなく、音楽教育者としての面も持っていたというJ.S.バッハ。その彼の「平均律クラーヴィア曲集」を核として選び、メルドーは生徒、もしくは助手としての役割を、自らに与えている。メルドーの曲と即興は、一つの作品の上に重ねられた作品であり、元の作品が持つ特色を展開させながら、誰もが想像したことのない方向へとその音世界を拡大させている。ブラッド・メルドーによる、誰もが知るバッハの今まで聴いたことのない新感覚の解釈が、今、ジャズ、クラシックのジャンルを飛び越え、聴くものを圧倒する。

 

 

ブラッド・メルドー

1970年8月23日フロリダ州マイアミ生まれ。本格的なクラシック・ピアノの教育を6歳からを受け、14歳でジャズ・ピアノに傾倒する。
ニューヨークのクラブを拠点に、たちまち頭角を現すと、94年にはジョシュア・レッドマン・カルテット『ムード・スウィング』のセッションに抜擢され、一躍世界中の注目を浴びる。そこでの演奏が認められワーナー・ブラザーズと契約し、95年にメジャー・デビュー作『イントロデューシング・ブラッド・メルドー』を発表し、“同年の最優秀ジャズ・アルバムの一つ(ワシントン・ポスト紙)”と賛辞を浴びた。
デビュー作の録音に前後して、ラリー・グレナディアとホルヘ・ロッシィとレギュラー・トリオを組み、「アート・オブ・ザ・トリオ」と冠したシリーズ作品を5枚リリース。ジャズ雑誌の読者投票や批評家投票で最優秀に選ばれたほか、シリーズ2作目と4作目は、グラミー賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた。
自身のアルバム以外では、チャーリー・ヘイデン、リー・コニッツ、ウェイン・ショーター、ジョン・スコフィールド、チャールズ・ロイドなどトップ・ミュージシャンたちとの共演も多い。彼のレコーディング活動はジャズ界にとどまらず、カントリー・ミュージック界の大御所、ウィリー・ネルソンやシンガー・ソング・ライター、ジョー・ヘンリーの作品にも参加。
また、スタンリー・キューブリック監督の「アイズ・ワイド・シャット」、ヴィム・ヴェンダース監督の「ミリオンダラー・ホテル」を含め、数々の映画音楽にも起用された。

 

 

「平均律クラヴィーア曲集」とは?

J.S.バッハの2巻から成る曲集で、各巻とも24の前奏曲とフーガを含む。原題《Das wohltemperierte Klavier》。すべての長調と短調を用いた画期的な曲集で、各巻ともハ長調から始まってハ短調、嬰ハ長調、嬰ハ短調……というように、長調と短調を交互に置いて半音階的に順次上の音階に上がっていく配列がとられている。バッハの曲集の原題の意味は、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「良く調整された(well-tempered)」という意味であるが、和訳では「平均律」が多く用いられている。

(ちなみに本来の「平均律」とは、鍵盤楽器の調律方法の1つ。本来数学的に割り切れないオクターブに含まれるすべての音を、いくつかの音程関係では少しずつ妥協して、すべての長調と短調がうまく響くようにした調律方法のこと。転調が容易になる反面、もともと平均律を用いていない音楽(民謡、民族音楽、黒人音楽など)の演奏の場合には、本来の表現をすることが難しくなるデメリットも持つ)

指揮者にしてピアニストだったハンス・フォン・ビューローは、この曲集を「音楽の旧約聖書」と呼んだ(ちなみに彼が「新約聖書」と呼んだのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ)。その性格上、クラシック・ピアニストを目指すほぼ全ての人たちが通るとも言われる、教育的な要素も兼ね備えた曲集である。

 

 

 

その他のピアニストによる「平均律クラヴィーア曲集」

 

グレン・グールド

1932年9月25日、カナダのトロント生まれ。「20世紀でもっとも個性的なピアニスト」とも称される。幼少より才能を発揮し、10歳よりトロント音楽院でオルガン、ピアノ、理論を学ぶ。14歳でピアノ部門の修了認定(アソシエイト)を最優等で取得し、ピアニストとして国内デビュー。1955年、米国デビュー公演の直後に米CBS(現ソニー・クラシカル)と専属録音契約を結ぶ。同年録音、翌年発売されたバッハの『ゴールドベルク変奏曲』で、それまでのバッハ演奏を一新させた。20代は、北米全土ばかりか、モスクワ、ベルリン、ウィーン、ザルツブルク、ロンドン等にも演奏旅行に赴き、カラヤン、バーンスタイン、セル、クリップスなど錚々たる指揮者たちとも共演して名声を築く。1964年4月のリサイタルを最後に演奏会活動を引退、以後は録音と放送番組の仕事と執筆に専念する。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト等を取り上げ、「引退」以降も録音・発売を続けた幾多のアルバムは、その一作一作が新鮮な驚きに満ちており、世界中にファンを増やしていった。1982年10月4日、50歳の誕生日の9日後、脳卒中のため急逝。前年に再録音した『ゴールドベルク変奏曲』が遺作となった。

 

アンドラーシュ・シフ

1953年、ハンガリー・ブダペスト生まれのピアニスト。5歳からピアノを始め、フランツ・リスト音楽院でパール・カドシャ、ジェルジ・クルターク、フェレンツ・ラードシュらに学び、さらにロンドンでジョージ・マルコムに師事。レパートリーは広く、フォルテピアノなど、オリジナル楽器での古典派へのアプローチも試みている。夫人はヴァイオリニストの塩川悠子。世界の一流オーケストラや指揮者の大多数と共演してきたが、近年はピアノを弾きながら自らオーケストラを指揮する弾き振りの活動に力点を置いている。1999年には自身の室内楽オーケストラ、カペラ・アンドレア・バルカを創設、メンバーには国際的なソリストや室内楽奏者、友人たちが加わっている。このほかに毎年ヨーロッパ室内管弦楽団も弾き振りしている。2014年6月、エリザベス女王の公式誕生日を記念する叙勲名簿の発表に際し、英国よりナイト爵位を授与された。

 

J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集/Andras Schiff

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アブデル・ラーマン・エル=バシャ

1958年、音楽家の両親のもとレバノン・ベイルート生まれのピアニスト。1974年フランス、ソ連、イギリスの政府より奨学金の申し出を受け、パリ音楽院に入学。P.サンカンの作曲科にも学び、ピアノ、室内楽、和声法、対位法の4科で首席卒業。78年、エリーザベト王妃国際コンクールで審査員全員一致による優勝、併せて聴衆賞を受賞し、一躍世界の注目を浴びるが、すぐに演奏活動には着手せず、さらなる研鑽を積み、レパートリーを増やすことに没頭。その後、世界の主要ホールでリサイタルを行う。
インバル、スクロヴァチェフスキ、クリヴィヌ、フルネ、マズアなどの著名指揮者とベルリン・フィル、コンセルトヘボウ、ロイヤル・フィル、パリ管、NHK交響楽団等で共演。

 

 

ラミン・バーラミ

1976年、イラン・テヘラン生まれのピアニスト。ロザリン・テューレックやアンドラーシュ・シフといった、バッハを得意とする名ピアニストたちに学び、現在はイタリアを中心に活躍。2007年に発売された『フーガの技法』は、イタリアのポップ・チャートで7週連続トップ10入りするなど、人気実力共に高い評価を得ている。

 

J.S.バッハ: 平均律クラヴィーア曲集 第2巻/Ramin Bahrami

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ピエール=ローラン・エマール

1957年、フランス・リヨン生まれのピアニスト。パリ音楽院でイヴォンヌ・ロリオに、ロンドンでマリア・クルチョに師事。1973年メシアン国際コンクールに優勝し、弱冠19歳でピエール・ブーレーズからアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・ピアニストに指名された。1980年代半ばから、親しかったジョルジ・リゲティの全作品の録音に加わるとともに、練習曲数曲を献呈された。ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドン響、ニューヨーク・フィルなどの一流オーケストラや、サイモン・ラトル、ニコラス・アーノンクール、エサ=ペッカ・サロネンら時代をリードする指揮者と共演を重ねている。近年ではカルト・ブランシュ(演奏家に自由なプログラミングを託すコンサート)や音楽祭のプロデュースを任されることも多く、2008年にはサウスバンク・センターのメシアン生誕100年祭を企画し注目を集めた。2009年には由緒あるパリのコレージュ・ド・フランスで講座やセミナーを受け持つなど、多彩な活動を展開している。

 

Bach: The Well-Tempered Clavier I/Pierre-Laurent Aimard

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