牧野良幸のハイレゾ一本釣り! 第5回

第5回(特別編):ポール・マッカートニー 武道館公演レポート

~49年後に追体験できた幸せ~

 

 

 2015年4月28日、ついに49年ぶりにポール・マッカートニーが武道館に立った。この意味を今さら説明する必要はないだろう。かつてビートルズが演奏した同じ場所で、ポールが演奏するのだ。

 当日は開場前から長蛇の列ができていた。行列は隣の科学技術館までいってもまだ終わらないほどの長さ。武道館には何度も足を運んだ僕にも珍しいほど時間がかかった。1時間以上並んで、ようやく武道館に入る。二階南東の席である。しかしそれでも、東京ドームに比べればステージは近くだ。

 開演を待つ間に、観客の間には一体感が芽生えていたと思う。席に着いてから、さらに1時間は待っていたと思うが、その間もウェイブがおこり盛り上がる。さすがに1966年にウェイブはなかっただろうが、あの日もこんな風にビートルズの登場を待っていたのかなあ、と想像してしまう。

 そしてようやく20時頃にポールが登場。オープニングが「キャント・バイ・ミー・ラヴ」だから、いきなり大興奮である。開演前、僕の隣の同年輩の男性は、「リンゴ・スターがサプライズ出演しますかね?」と、デマと知りつつも、そんな話を楽しんでいた。リンゴ・スターはないにしても、僕も「ひょっとして今夜は全部ビートルズの曲かも?」という期待はあった。

 だから「キャント・バイ・ミー・ラヴ」でウァーときたのだが、2曲目が最新アルバム『NEW』の「セイヴ・アス」だったから、妄想は早くも消えた。結局、今回の日本ツアーと比べて、武道館のみで演奏されたのは、『ヘルプ!』の「アナザー・ガール」の世界初披露を含む、「ワン・アフター・909」「ダンス・トゥナイト」「ゴット・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」、「バースデイ」であったと思う。あとは通常のリストの曲であった。

 それでも武道館で初めて演奏された曲には感動したものだ。特に「アナザー・ガール」、ポールが「ウマクデキルト、イイケド…」と世界初披露をやってくれたのには驚き。

 ポールはあきらかに前日の東京ドームの時とは違って、武道館を意識して、よく喋っていた。「49ネンマエニ、ココニキタヒトハ、イルカイ?」と訊いてみたり、「アノトキハ、“キャー! キャー!”ダッタヨ」と言ったり、「ブドウカン! ブドウカン!」と観客と掛け合いをしたり。

 武道館公演の決して安くなかったチケット代への思いは、開演前に自分の席について、すり鉢上の二階からステージを見下ろした瞬間に消えてしまっていたけれど、曲が進み、こうしてポールと親密な時間を過ごしている実感を得るにつれ、「ほんとうに来て良かった」という喜びに変わったのだった。

 コンサートの最後では、主催者の用意したポールへのサプライズがさらに盛り上げた。あらかじめ僕たち観客が腕にバンドを付けておいて、それが「レット・イット・ビー」の時、無線操作で光るのである。それは素晴らしい演出で、ポールも歌い終わったあと、ピアノの前に立ち、感極まったようだった。「クール」とか、いろいろ言っていたっけ。

 このライトは「イエスタデイ」や「ヘイ・ジュード」、最後の「ジ・エンド」などでも、違う光り方をして素晴らしい演出となった。武道館にいるポールと観客、みんながファミリームードで一帯となった気がした。こうしてコンサートは終了。終わってみれば2時間ほどで、通常よりも短めのプログラムだった。しかしそれでも大満足だ。

 武道館に立ったポールは、49年前のビートルズの来日公演の熱狂を蘇らせただろうか。その時小学生2年生だった僕には確かめようはない。でも49年前のビートルズ武道館公演を、どのような形であれ追体験できたのではあるまいか。それだけでも幸せなことだと思う。

 


 

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牧野 良幸 プロフィール
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。