牧野良幸のハイレゾ一本釣り! 第14回

第14回:ヴェルディ:歌劇『リゴレット』から「女は気まぐれ」

~聴けば「元気100倍」になるオペラ~

 

 

 ヴェルディの歌劇『リゴレット』には「女は気まぐれ」という曲がある。一般に〈女心の歌〉と呼ばれる有名な曲だ。たとえ知らない人でも、いちど聴けばメロディを覚えてしまうだろう。

 この曲は第3幕で女好きのマントヴァ公爵が歌う。歌詞は「女の気持ちは、風に舞う羽のように移り気だ」といった内容で、今も昔も変わらない(?)女心を歌ったものである。これぞイタリア・オペラと言わんばかりの、明るく、あっけらかんとしたメロディだ。ここには移り気な女心に悩む男の姿などみじんもない。むしろ楽しんでいるかのようである。好色なマントヴァ公爵が歌ってこそのアリアであろう。

 歌詞のことはひとまず横において、僕はこの「女は気まぐれ」の軽快なメロディが大好きである。けっしてこの曲を軽んじているわけではない。それどころか、細かいことを気にしないで、大らかに生きる勇気をもらえる貴重な曲だと思っている。聴いたり、口ずさんだりするだけで元気が出てくるのである。

 しかし「女は気まぐれ」の聴き所は軽快さだけではない。それを説明するためには、オペラのあらすじを簡単に書く必要があるだろう。

 道化師のリゴレットはマントヴァ公爵に仕えていた。そのマントヴァ公爵は女好きで、リゴレットの娘ジルダにも、貧しい学生といつわって言い寄っていた。そんなとき、マントヴァ公爵の家臣たちは、リゴレットを笑い者にするため、ジルダを彼の愛人と勘違いして誘拐してしまう。

 怒ったリゴレットはマントヴァ公爵の館に向かい、娘を無事取り戻す。そして復讐を誓うのだった。リゴレットは殺し屋にマントヴァ公爵の殺害を依頼する。そうとは知らず、マントヴァ公爵が嵐の夜に居酒屋で歌うのが、この「女は気まぐれ」なのである。

 しかしジルダはマントヴァ公爵を愛していた。ジルダは殺人の計画があるのを知ると、マントヴァ公爵の身代わりとなって、殺し屋に身をゆだねるのである。そうとは知らないリゴレットは、殺し屋から死体が入った袋を受け取る。恨みを晴らして勝利に酔うリゴレット。

 とその時、遠くから聞えてくるのが、またもマントヴァ公爵の歌う「女は気まぐれ」である。死んだはずのマントヴァ公爵が、なぜ生きている? 「女は気まぐれ」が能天気なメロディなだけに、この場面は劇的だ。同じ曲でありながら180度違う効果を生み出すヴェルディの手腕は見事である。

 ちょっとオペラの話で熱くなってしまったが、やはり僕が言いたいのは、「女は気まぐれ」を聴くと嫌なことは忘れて元気が出る、ということである。

 ハイレゾではマリア・カラスが歌う『リゴレット』が配信されている。1955年録音(モノラル)とあってオーケストラこそ固めの音質だけれども、オペラを問題なく楽しめる音質である。特に声楽は最新録音と劣らないクオリティで聴ける。ジルダのマリカ・カラス(ソプラノ)やリゴレットのティト・ゴッビ(バリトン)など、20世紀を代表する歌手が豊かな音質で蘇る。マントヴァ公爵を歌うのは、地中海に降り注ぐ太陽のように明るい声のジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)だ。ハイレゾなら声の艶も際立って、「女は気まぐれ」を聴くとそれこそ元気100倍である。

 


 

Verdi: Rigoletto (1955 – Serafin)/Maria Callas
(FLAC|96.0kHz/24bit)

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【牧野 良幸 プロフィール】
 
1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。