松尾潔の「メロウな歌謡POP」第1曲目 大橋純子「たそがれマイ・ラブ」(1978)

第1曲目:大橋純子「たそがれマイ・ラブ」(1978)

 

 moraユーザーのみなさん、はじめまして。

  音楽プロデューサーの松尾潔です。作詞や作曲もします。要するに「うた」をつくることを仕事にしています。そんなぼくが連載を始めることになりました。テーマを日本のうたに絞って文章を書くのは実に久々のこと。というか、初めてのWEB連載です。まあユルく長く続けられればと思っていますので、どうかよしなにお付き合いくださいね。

 さてタイトルにある「歌謡POP」。耳慣れない? それはごもっとも。連載を始めるにあたってぼくが造ったコトバなんですから。moraスタッフからは「メロウなJ-POP」という仮題をいただいたのですが、J-POPというタームの登場以前に世に出た曲たち、つまり当時「歌謡曲」と呼ばれていたものを取りあげることも多くなりそうなので改題した次第。

 2015年のいま「歌謡曲」というコトバを使う時、そこには「J-POPというタームでは規定できない日本語大衆歌謡」というニュアンスが強いように思われます。世代によっては「歌謡曲」と「演歌」はニアイコールなのかもしれませんね。それってゆゆしき事態だなとぼくは危惧してるわけですが。こんな現状をふまえて「(J-POP登場以前の)歌謡曲+現行J-POP」という意味で「歌謡POP」なる造語にたどり着きました。ま、その意味するところは連載を進めるうちにはっきりおわかりいただけることでしょう。

 

 さて1曲目に取りあげるのが大橋純子「たそがれマイ・ラブ」。1978年、いやここは昭和53年と呼びたい気分ですが、とにかく40年近く前のヒットであります。連載タイトルの意味と意図を説明するにあたって、これ以上ふさわしい曲はない! 作詞は阿久悠、作曲と編曲は筒美京平。まずはこの黄金コンビの手によるメロウ・チューンから語らないことには始まりません。

 「たそがれマイ・ラブ」が世に出た時、ぼくはちょうど10歳でした。小学5年生の夏です。えらくオシャレな、大人っぽい印象を受けましたが、同時に小5男子でも口ずさんでしまうようなキャッチーさを兼ねそなえた曲でもありました。

 その年の正月に放映が始まった画期的な歌番組『ザ・ベストテン』で初めて観た大橋純子は、小柄ながらショートヘアと顔からこぼれそうな大きな目が印象的な美女。ああ大人のオンナのひとだなあと。繰り返し言いますけど、何しろこっちは10歳ですから。現在なら「中原淳一が描く美少女がそのまま成長して生身の姿でマイクを握った感じ」とか何とかもっともらしく表現できますが、当時はそんな語彙も知識もないからさ。

 

(↑「たそがれマイ・ラブ」発売当時のレコードジャケット)

 

 いま調べてみると当時純子さんはまだ28歳だったんですね。28歳といいますと、つい先月、石原さとみさんが28歳になったというニュースが出てたばかりですな。昨年のドラマ『きょうは会社休みます。』で「30歳処女」という役柄を好演して評判をとった綾瀬はるかさんは、実際に今年30歳だというし、それっていまの30歳が幼すぎるのか、昭和の28歳が老成していたのか。日本は変わったのか、変わらないのか……あ、失礼、風呂敷広げすぎました。

 もとい「たそがれマイ・ラブ」。もうイントロからいいんだなあ。さすがは日本が誇るメロウ・マエストロ、筒美京平。弾力性に富んだギターリフや反復性が癖になるリズムパターンがその数ヶ月前に出たカーリー・サイモンの「You Belong To Me」(オリジナルはマイケル・マクドナルド在籍時のドゥービー・ブラザーズ。77年作)の影響下にあることは、この辺の洋楽事情をかじったファンなら容易に指摘できそうなポイントですが、当時はほら、そんな知識もないからさ。

 ブルー・アイド・ソウル文脈で語られることも多いマイケル・マクドナルドがカーリーと共作し、御大アリフ・マーディンがプロデュースした「You Belong To Me」は、おそらくはカーリー・サイモンにとって最もR&Bフィーリングに満ちたレパートリー。90年代にアニタ・ベイカー、21世紀に入ってからもジェニファー・ロペスという超大物ディーバたちがカバーしたこともよく頷けるメロウな名曲です。

 でも、そんな背景や音楽的出自を抜きにしても「たそがれマイ・ラブ」のほうが多くの日本人にはグッとくるはず。コード進行やメロディ展開の妙も大きいですが、最たる理由はやはり何といっても大橋純子さんの美声につきるでしょう。もしかするとその美しさは日本で生活することではじめて判別できるものかもしれません。炊きたての白米のかがやきを見たときに感じる美しさと同種というか。

 豊かな声量で知られた純子さんがこの曲では控えめに歌っているのも、哀しい愛の結末を暗示するうえでたいへん効果的(当時ご本人はそのことに納得がいかなかった旨の発言があったにせよ、です)。フェラーリがあえて低速走行するような優美さが漂います。余談ながら、1998年にMISIAがデビューするにあたってぼくはブレーンのひとりとして参加しましたが、そのとき頭のなかにははっきりと大橋純子の存在がありました。

 

 そして、「たそがれマイ・ラブ」は歌詞ですよ歌詞。夏と冬の2部構成で綴られる、男女の機微。歌謡曲の詞世界としては類型的ともいえるテーマですが、これを阿久悠は現在のJ-POPと比べると驚くほど言葉みじかく、しかし色あざやかに描ききるのです。映像を喚起するチカラといったら、もう途轍もなくて。どことなく捨て鉢な、あるいはデカダンな女主人公の腹の据わりかたはきわめてオ・ト・ナ。つまり至高のメロウ。もう阿久悠劇場と言いきってしまいたい。

 日本中の女子小中学生に振り付けの真似をさせたピンク・レディーの「UFO」で4度目のレコード大賞をとった阿久悠が、同じ年にこんな「どメロウ」な楽曲も残しているという事実は、いま音楽プロデューサーや作詞家を名乗るぼくの目には超人的所業として映ります。もっと正直にいうとひどく打ちのめされます。きっと間違いなく、映画をつくる心持ちで作詞に向きあっていたんでしょう、阿久さんは。

 この曲の原題が「ベルリン・マイ・ラブ」ということを知ったのは、ぼくが音楽プロデュースの仕事を始めてからのこと。道理で2番の歌詞のなかで白い粉雪が舞い踊るのが「石畳」なのかと。横浜元町じゃなかったのかと。のちに小説家として『瀬 戸内少年野球団』(篠田正浩監督によって映画化もされた)などの傑作を残す阿久悠の念頭にあったのは伯林=ベルリンが舞台の森鴎外『舞姫』なのか、ボブ・フォッシーのミュージカル『キャバレー』なのか、はたまたMGM映画の古典『グランド・ホテル』なのか……止まらぬ妄連想を持てあますのもリスナーズ・プレジャーのうち。これぞ名曲にめぐり逢えた証なり。

 

 ちなみにぼくは「たそがれマイ・ラブ」のカバーにこれまで2度挑戦しています。まず1999年に嶋野百恵さん、2005年には稲垣潤一さんで。おふたりとも個性的な声質と素敵な歌心をもった歌い手さんですが、プロデューサーのぼくの力量が足りなかったせいでオリジナルのクオリティには遠くおよびませんでしたね。忌憚なくいえばしくじりました。猛省しております。

 そのしくじり、そして京平先生と面識を得て直接ヒットづくりの要諦らしきものを学んだ経験をもとに、「たそがれマイ・ラブ」へのオマージュを捧げる気概で臨んだのが、昨秋リリースしたJUJUの「ラストシーン」です。ぼくは46歳、「たそがれマイ・ラブ」に出逢ってからちょうど干支が3周してましたとさ。長かったなあ。短かったなあ。

 

 

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ゴールデン☆ベスト 大橋純子 シングルス/大橋純子

 

 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。