津田直士「名曲の理由」 エレファントカシマシ(後編)

今回も引き続きエレファントカシマシの作品を紹介しながら、その名曲の理由を見てみたいと思います。(前編はこちら

 

 

エレファントカシマシ

「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」

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宮本浩次という魅力溢れる男が、「心の中にある疑問や強い想いを作品にし、バンドで表現していく」という生きかたを30年以上続けてきたこと、そしてそれを可能にしてきたのが彼の「声」であったことを前回ご説明しました。
        
一時的にメジャーから離れていた宮本浩次が1996年に発表した名曲「悲しみの果て」によって、エレファントカシマシが「多くの人の心が動く音楽」を生み、演奏するバンドであることが広く伝わりました。

このことから、宮本浩次はおそらく、彼の生き様と「多くの人の心が動く音楽」の接点(歌詞も含めて)を見つけたのかも知れません。

 

続けて1年後、ドラマのタイアップ曲となった名曲「今宵の月のように」は大ヒットしました。

 

 

宮本浩次が見つけた宮本なりの「多くの人の心が動く音楽」は、「風に吹かれて」「夢のかけら」と続き、やがて2007年に発表された「俺たちの明日」という、多くの人の心をつかむ素晴らしい歌に結実していきます。

 

 

 

これらの作品に共通しているのは、歌詞・メロディー・パフォーマンスすべてが、宮本浩次という男のありのままの姿であるところです。

前回お伝えしたように、宮本浩次の生み出す作品は「宮本浩次の声が生ませている」ため、彼が生み出す曲は、自分を極めることによってその魅力がそのまま自身の心の震えを通して、きちんと人の心を動かす力を持ったオリジナル作品となるわけです。

 

そうなると、興味深いのが1988年から1996年までの、8年間にわたるエピック・ソニー時代の意味合いです。
なぜこの時代に、「多くの人の心が動く音楽」が生まれなかったのでしょうか。

 

私の想像ですが、エピック・ソニー時代、エレファントカシマシは当時のスタッフから「売れるバンドの作品」を期待されていなかったのではないでしょうか。

それよりもずっと強く期待されていたのは、おそらく「他のアーティストにはない個性」だったのでしょう。

確かに「ファイティングマン」や「花男」、「奴隷天国」といった作品は、誰にも生むことができない強い個性に満ちていますし、たとえ「多くの人の心が動く音楽」ではなくても、活動のメインであるライブでは、初期の作品の重要性が揺らぐことはありません。

 

ただ、もしも私のこの想像が当たっていたら、宮本浩次、そしてエレファントカシマシにとって大変重要なことが浮かび上がってきます。

可能性として少し後ろ向きに捉えられる一面があるとすれば、もし宮本自身が「売れるバンド」を望んでいながら、当時のスタッフがそれと違うことを望んでいた場合……それはアーティストの可能性をせばめてしまったかも知れない、ということです。

1996年当時、いわゆる「売れるアーティスト」は1~200万枚のアルバムセールスをあげていた時代です。
エピック・ソニーにもそういったアーティストが複数いましたから、エレファントカシマシという骨太なバンドが、そういったアーティスト像とは最初から違った眼で見られていた可能性はあります。

これはあまり考えたくないことですが、もしそうであったなら、デビューよりも前にその大いなる可能性を観てしまった私としては残念なことだと言わざるを得ません。
私が、ただ可能性のあるアーティストとしてエレファントカシマシを見つけただけではなく、その後、X(現X JAPAN)という、やはりエレファントカシマシと同じように存在が新しいが故に誤解されがちだったアーティストを、きちんと「売れるアーティスト」となるよう全力でプロデュースし、実現できた経験があるからです。(当時のエピソードの詳細はこちら

 

ただ、一方で前向きにとらえられる一面もあります。
それは、1996年から始まる宮本浩次とエレファントカシマシの新たなる船出に向けて、エピック・ソニー時代がとても重要な基礎固めとなった、という解釈です。

 

つまり、

エピック・ソニー時代の8年間で、エレファントカシマシはその強烈な個性を音楽面やパフォーマンスで唯一無二の存在として見事に確立することができた。
それらの前提でエピック・ソニーを離れてからじっくり「売れるアーティスト」としての新たな創作姿勢や活動方針を考えることができたため、結果的に揺るがぬアーティストとしての強さと歴史に残る名曲を手にすることができた。
そしてその結果として、現在の「デビュー30周年」という輝かしい時期を迎えることができた……

こちらの考え方であれば、とても意義のある8年間だった、ととらえることができます。

 

さて、エピック・ソニーからの契約解除後に「多くの人の心が動く音楽」を求めたのは、実際のところ誰より宮本浩次自身でした。

そんな中、「多くの人の心が動く音楽」の象徴でもある名曲を宮本浩次が形にできるかどうか、と考えた場合、

名曲の理由が「作者の心の震えが忠実に作品へ投影されること」だと考える私にしてみれば、

「ありのままの姿を歌詞・メロディー・パフォーマンスに投影できる宮本浩次」に、当時必要だったものは、残すところたったひとつだけ。

それは「音楽的な豊かさ」でした。
(音楽的な豊かさというのは、サウンドや曲調のバリエーションによる豊かな響きのことです。メロディー自体はデビュー作「デーデ」の頃から豊かなわけですから)

 

さて、これまで書いた通り、「悲しみの果て」で「音楽的な豊かさ」を自分のものにすることのできた宮本浩次はその後、素晴らしい作品をどんどん生んでいきます。

先ほど書いた「風に吹かれて」「夢のかけら」といった「多くの人の心が動く音楽」に加え、エレファントカシマシの魅力の中心である「強く激しい曲」にしても、宮本浩次の音楽的な進化が、そのまま作品のクオリティーへとつながっていきます。

ガストロンジャー」と「コール アンド レスポンス」は2000年前後に発表された作品ですが、宮本浩次の激しさと緊張感が「言葉」と「音」の両方にまたがって炸裂し、芸術作品ともいえる素晴らしい仕上がりとなっています。「多くの人の心が動く音楽」についても、「so many people」にその真価を見ることができます。

 

 

 

 

さらに2008年頃になると、宮本浩次の生む「多くの人の心が動く音楽」はさらに多彩になっていきます。

『STARTING OVER』と『昇れる太陽』という2つのアルバムをリリースしたこの時期、宮本浩次は先ほど触れた「俺たちの明日」をはじめ、「笑顔の未来へ」「リッスントゥザミュージック」「ハナウタ~遠い昔からの物語~」「桜の花、舞い上がる道を」「新しい季節へキミと」といった、多くの人の心を動かす素晴らしい作品を立て続けに生み出していきます。

どの曲も、宮本浩次の力強い生きかたそのままに、真っすぐ明日を見ることの美しさに満ちた光のようなエネルギーが様々な言葉となって、豊かな音楽的な魅力と共に聴く人の心を動かします。

何よりも「宮本浩次の声」が、聴く人に圧倒的な安心感を与えながら、生き様がそのまま声になっている真実さによって、深い感動を呼び起こしてくれます。

私はこれらの作品の中で、とりわけ「笑顔の未来へ」が大好きです。「悲しみの果て」と同じように、ずっと愛され続ける名曲だと思っています。

ぜひ聴いて頂くことをお勧めします。

 

 

エレファントカシマシは、その後も変わらず3つのアルバムを制作・発表し、例えば2012年の「ズレてる方がいい」、昨年2016年の「夢を追う旅人」といった、素晴らしい作品を発表してきました。

デビュー30周年を迎えても、デビュー当時と見た目やパフォーマンス、生きかたがほとんど変わっていないことでわかる通り、宮本浩次はひたすら「自分であり続け、その心のまま作品を生み出し続け」てきました。

自分であり続けることで、アルバムコンセプトはその時々で少しずつ違いますから、その歩みを追う喜びもあります。

そして人が普通、自分のことを当たり前に信じるのと同じように、宮本浩次は「自分が生み出す作品」をきちんと信じ続けてきました。

その結果、多くのファンやエレファントカシマシの作品に触れた人達を幸せにし、数多くのアーティストから深いリスペクトを受けてきました。

それを可能にしたのはやはり、「宮本浩次の声」と35年以上変わらずバンドメンバーとして宮本浩次を支え続けてきた石森敏行高緑成治冨永義之、3人の存在なのだと私は思います。

 

宮本浩次が、時代を越えていくことのできる名曲を生み続けること……

それは、30年という長い期間、活動を続けてきたことと、そのままイコールでつながっているのだと、私は思います。

 

 


 

【プロフィール】

津田直士 (作曲家 / 音楽プロデューサー)

小4の時、バッハの「小フーガ・ト短調」を聴き音楽に目覚め、中2でピアノを触っているうちに “音の謎” が解け て突然ピアノが弾けるようになり、作曲を始める。 大学在学中よりプロ・ミュージシャン活動を始め、’85年よ りSonyMusicのディレクターとしてX(現 X JAPAN)、大貫亜美(Puffy)を始め、数々のアーティストをプロデュ ース。 ‘03年よりフリーの作曲家・プロデューサーとして活動。牧野由依(Epic/Sony)や臼澤みさき(TEICHIKU RECORDS)、アニメ「BLEACH」のキャラソン、 ION化粧品のCM音楽など、多くの作品を手がける。 Xのメンバーと共にインディーズから東京ドームまでを駆け抜けた軌跡を描いた著書「すべての始まり」や、ドワンゴ公式ニコニコチャンネルのブロマガ連載などの執筆、Sony Musicによる音楽人育成講座フェス「ソニアカ」の講義など、文化的な活動も行う。2017年7月7日、ソニー・ミュージックグループの配信特化型レーベルmora/Onebitious Recordsから男女ユニット“ツダミア”としてデビュー。

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