【8/21(月)まで】新イタリア合奏団 リリース記念キャンペーン

新イタリア合奏団 リリース記念キャンペーン

グリエルモ&新イタリア合奏団が
J. S. バッハ: ヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052R & ト短調 BWV1056Rをリリース!
関連4作品プライスオフ!!!

プライスオフ期間:2023年6月24日(土)~2023年8月21日(月) 23時59分まで

作品紹介


J. S. バッハ: ヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052R & ト短調 BWV1056R

J. S. バッハ: ヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052R & ト短調 BWV1056R

DSD[11.2MHz/1bit]

FLAC[384.0KHz/24bit]

FLAC[192.0KHz/24bit]

FLAC[96.0KHz/24bit]

AAC[320kbps]

アルバムについて <木幡一誠>

 イタリアが伝統として誇る弦楽合奏の美を今日の世に伝える。それが彼らの抱く誇りの念であり、使命感なのだろう。ピリオド楽器による勢力図の書き換えも進むバロックや古典派や初期ロマン派のレパートリーでも、オーソドックスでありながら新鮮な息吹を失わない演奏スタイルが放つ説得力。バッハの協奏曲では既存の“復元版”に対して独自の視点からのリアリゼーションも試み、即興的な音使いまで存分に盛り込む。それが技巧的な彩りの次元を超えて、2曲それぞれの情念の世界を血の通った音楽として響かせることに貢献を果たす。ベテランのソロイストが率いるアンサンブルならではという世界だ。  イタリアへの楽旅から帰ったモーツァルトが羽ばたかせた天才の翼。やはり早熟の天才だったメンデルスゾーンとバッハの間に横たわる音楽史的な縁がアルバムに添える奥行き。そして“お国物”の血が騒ぐロッシーニ……。プログラミングの妙まで満喫したい1枚である。


  ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750)
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 BWV1052R
Ⅰ. アレグロ / Ⅱ. アダージョ / Ⅲ. アレグロ
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 BWV1056R
Ⅰ. (速度指定なし) / Ⅱ. ラルゴ / Ⅲ. プレスト

 ここに収められた2つのヴァイオリン協奏曲は、バッハの作品でも独自の位置を占める“復元された協奏曲”の一群に属するものだ。バッハは1台用から2〜4台用まで、のべ14曲のチェンバロ協奏曲を残したが、今日の研究ではその大半がオリジナルではないと判明している。1723年にトーマス教会のカントルとして着任したライプツィヒの地で、バッハは1729年から1741年まで器楽合奏団“コレギウム・ムジクム”を率いており、その演奏会で披露するため、旧作を転用してチェンバロ協奏曲に編み直した(1738年頃から1741年にかけて行なわれた作業と推察される)。その原作が失われていたり、完全な形で残ったりしていないものが、研究者による独奏楽器の特定を踏まえて“復元”に至った次第である。
 ヴァイオリン協奏曲ニ短調は、チェンバロ協奏曲ニ短調BWV1052から復元された。これはバッハのチェンバロ協奏曲でも、独奏パートの技巧性の高さで群を抜いた存在だが、その第1楽章と第2楽章は1726年から1728年の間に成立したカンタータ第146番「われら多くの苦難を経て」の第1曲「シンフォニア」と第2曲の合唱に転用されている。そして第3楽章は、1728年から翌年にかけて成立を見たが、断片的にしか譜面が現存しないカンタータ第188番「われはわが堅き望みを」の第1曲「シンフォニア」と同一の楽曲(その「シンフォニア」の演奏に際しては、欠落部分がBWV1052を元に補筆されている)。
 ヴァイオリン協奏曲ト短調はチェンバロ協奏曲へ短調BWV1056に基づく復元版だが、独奏楽器をフルートやオーボエとするヴァージョンでも演奏の機会は多い。ソロとトゥッティの交替の図式や楽想のたたずまいはBWV1052より古雅な面が強く、早ければ1710年代に原作が完成していた可能性も高い。その第2楽章は1729年初演のカンタータ第156番「片足は墓穴にありてわれは立つ」の第1曲「シンフォニア」(そこではオーボエの独奏が活躍)に転用されており、“バッハのアリオーソ”の愛称でも広く知られる。


 フェリックス・メンデルスゾーン (1809-1847)
弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調
アダージョ—アレグロ 

 音楽史を飾る早熟の天才として必ず名前の上がるメンデルスゾーン。ハンブルクに裕福な銀行家を父として生まれた彼は、1817年からベルリンで名教師カール・フリードリヒ・ツェルターに師事し、めきめきと神童ぶりを発揮した。1821年から1823年にかけて書かれた「弦楽のための交響曲」は、少年作曲家の手によるものとは思えない完成度と深い内容が備わる重要な作品群である(第1番から第12番は自筆譜に通し番号が存在し、最後に筆がとられた単一楽章の曲は未完成とも解釈できるが、後に“交響的断章”として出版を見た)。

 その第10番の完成は1823年5月だが、意図的に単一楽章形式を採用したのか、続く楽章が散逸したのかは不明である。半音階的な進行を多用する序奏部では、若きメンデルスゾーンがハイドンの交響曲書法を深く学び、バッハにまで遡る音楽的語彙を咀嚼した姿が浮かび上がる。ソナタ形式の主部におけるメロディーの挙動や律動的なモチーフの巧緻な扱い方は、成熟期の彼が書き上げたシンフォニーの世界を予見させずにおかない。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
ディヴェルティメント へ長調 K. 138(125c)
Ⅰ. アレグロ / Ⅱ. アンダンテ / Ⅲ. プレスト

 1772年の初頭から春先にかけて、モーツァルトがザルツブルクで完成させた3つのディヴェルティメント(K. 136〜138)の中の1曲。前年の暮れに旅行先のイタリアから帰郷を果たしたモーツァルトの筆から生まれた音楽は、“急-緩-急”の楽章構成によるイタリア序曲風の枠組と、ミヒャエル・ハイドンをはじめとするザルツブルクの先人に学んだ器楽作品のスタイルを見事に融合させている。均整のとれたソナタ形式の第1楽章と、対位法的な楽句も交えたロンド形式の第3楽章における楽想の対比感や、その狭間に置かれた第2楽章の流麗にして緻密な動機作法も耳に鮮やかな印象を残す。譜面上はヴァイオリン2、ヴィオラ、バス(チェロまたはコントラバス、あるいはその両方)という編成をとり、その形態から旧全集版ではディヴェルティメントのカテゴリーに分類されたが、タイトルは作曲者に由来するものではない。演奏に際しては各パート一人の弦楽四重奏か、当録音のように弦楽合奏を用いるのが一般的である。

 


ジョアッキーノ・ロッシーニ (1792-1868)〜V. ガンバロ編
歌劇「アルジェのイタリア女」 序曲 

 1813年の5月22日にヴェネツィアのサン・ベネデット劇場で初演された「アルジェのイタリア女」は、歌劇作家ロッシーニのキャリアでも最初期を飾る成功作のひとつ。予定されていた作品の完成が遅れたため急な依頼を受けたロッシーニが、わずか27日で書き上げたという逸話でも知られている。

 アルジェリアの太守ムスタファは妻に飽きてしまい、海賊の首領によって囚われの身となったイザベッラを我がものにしようとする。しかし彼女は離れ離れになっていた恋人リンドーロと再会し、二人は力を合わせて脱出。ムスタファは妻に謝罪……というのが本編のストーリー。その開幕に先立つ「序曲」はコンサートを賑わす機会も多い名品だ。劇場的な雰囲気に満ちた序奏と、展開部を簡略化したソナタ形式の主部からなる構成はロッシーニが好んだもの。全編を彩る伸びやかな旋律美と、反復動機をたたみかけるクレッシェンドの用法も彼の代名詞的な筆さばきである。

 当録音の演奏は、ヴィンチェンツォ・ガンバロ(1785-1828)による弦楽四重奏版を参照しながら、弦楽合奏に置き換えたヴァージョンを使用している。ガンバロはジェノヴァ出身のクラリネット奏者で、パリに渡って楽譜商を営む一方、イタリア座で1817年から首席クラリネットをつとめていた。そして1824年にそのイタリア座の音楽監督となったのがロッシーニ。ガンバロがロッシーニの作品の編曲を多数手がけ、楽譜として世に送り出していたゆえんである。


〇演奏家プロフィール〇
新イタリア合奏団

 完璧な技巧と高い音楽性で超一流と折り紙付きの名アンサンブル、イタリア合奏団が、21世紀への新たな飛躍を求めてメンバーを一新、「新イタリア合奏団」としてスタートした。メンバーは、イタリアの著名オーケストラのコンサートマスターやソロ首席奏者の経験者、国際コンクールの入賞者、有名なイタリアの室内楽グループ(ローマ合奏団、キジアーノ六重奏団)の元メンバーなどによって構成されている。レパートリーは弦楽六重奏から交響曲まで、指揮者を置かず、ソロもメンバーが交替で担当して演奏している。

 

フェデリコ・グリエルモ(ヴァイオリン独奏&コンサートマスター)      

 フィレンツェのヴィットリオ・グイ国際コンクール優勝者。ロヴィーゴのヴェネッツェ音楽院教授。ローマおよびトリノの国立放送管弦楽団のゲストコンサートマスターを務めた。ソリストとしてもレオンハルト、ホグウッドなどの巨匠の下、イタリア国内はもとよりロンドン、ボストン、シドニーなど世界各地で活躍。指揮者としても評価を得ている。