ハイレゾ音源大賞 7月度大賞を受賞 伊藤ゴロー アンサンブル『アーキテクト・ジョビン』ご紹介

ハイレゾ音源大賞 7月度大賞を受賞した伊藤ゴロー アンサンブルのアルバム『アーキテクト・ジョビン』。原田知世のデビュー35周年記念セルフカバーアルバム『音楽と私』のプロデュースを手掛けるなどポップスシーンでもその存在感を発揮する伊藤ゴロー氏の、ボサ・ノヴァ・ギタリストとしてのアーティスト性が存分に発揮された作品です。ブラジル音楽を代表する作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンの生誕90周年を記念したアルバムでもある今作を、オーディオ的な魅力を含めて解説。関連作品へのリンクも設けましたので、そちらもぜひ合わせてご試聴ください。

 


 

伊藤ゴロー氏 近影

 

 伊藤ゴローは2000年代初めに、ソロ・プロジェクトのMOOSE HILLや布施尚美とのボサノヴァ・デュオnaomi & goroでシーンに登場したギタリスト/作曲家だ。2007年のイベント参加を経て坂本龍一とも交流を深めるなど精力的に活動の幅を広げてきた。また、近年は歌手・原田知世のバンマス/プロデューサーとしても活躍。今年7月にリリースされたばかりの彼女のセルフ・リメイク作『音楽と私』でも、プロデューサーとしての手腕を大いに発揮している。

 そんな伊藤がピアニストとベーシストそして、伊藤彩ストリングカルテットを率いる伊藤ゴロー アンサンブル名義で創り上げた新作が、『アーキテクト・ジョビン』。本作はアントニオ・カルロス・ジョビンの生誕90周年を記念して制作されたアルバムだ。ジョビンはボサノヴァの生みの親として世界的に知られ、伊藤ゴローも多大なる影響を受けてきたアーティストの一人に他ならない。ボサノヴァというと誰しもが耳に優しく届くメロディと穏やかな歌詞をイメージすると思われるが、本作で採り上げられているのはすべてインストゥルメンタル。全11曲の収録曲の内、オリジナル曲はアルバム・タイトルでもある「アーキテクト・ジョビン」1曲のみで、あとの曲はすべてジョビンに縁のあるカヴァーで構成される。ジョビンが書いた多くの曲の中から、本作ではクラシック・サイドの曲を重点的に採り上げ、伊藤ゴロー流にアレンジしている。

 これまでアントニオ・カルロス・ジョビンの曲をカヴァーしたアルバムは数多くあり、日本人では坂本龍一が『CASA』(2001年)で、クラシック的解釈によりジョビンの魅力を掘り下げていたことが思い出される。伊藤の新作『アーキテクト・ジョビン』は、その『CASA』とはまるで方向性が異なる。誤解を恐れずにいえば、本作にはジョビンの音楽としての骨格の芯は残されているものの、光の当て方がこれまでのカヴァーとはまるで異なり、見事に新たなジョビンの側面を浮き上がらせている。

 伊藤ゴローはこれまで多くのアルバムを発表し、それらの大半を国内のみならずブラジル音楽を育んだ彼の地でも録音してきた。そして、CDにおける最終の音調整工程であるマスタリングを海外スタジオに委ねることで、多くの国内アーティストのアルバムとは一線を画する音を湛えてきた。一言でいうなら、音の美学だろうか。彼が常に求めているのは、静謐でありながらもけっして無機的にならない熱を帯びた音の世界だ。伊藤の音楽を表現する時に多用されるポスト・クラシカルという言葉は、時代の先端の音をきちんと内包していることを意味する。彼の音楽が常に新しく感じられるのは、録音とマスタリングに常に気を配っていることが大きいと感じる。

 とはいえ、本作の録音体制はこれまでとはちょっと趣きが異なる。それは今年4月3日・4日に敢行されたレコーディング環境を見ても明らかだ。東京にあるヤマハ銀座ビル別館フロアで5曲が、残りの曲が池袋のスタジオ・デデなどで収録されたという。

 それだけではない。それは今年、ソングエクス・ジャズからリリースされたソロ名義のアルバム『捨てられた雲のかたちの』に端を発する。その際にエンジニアを務めた檜谷瞬六からスタジオ・デデのオーナー吉川昭仁を紹介され、今回のレコーディングへの制作協力がなされることとなった。そして、録音現場では檜谷と吉川が吟味し選ばれたマイクの数々により生音を重視した収録が実施され、ミックスおよびマスタリングはデデ・エアで敢行された。

 エリス・レジーナとの共演で広く知られる「バラに降る雨」はリズム隊とピアノがメロディを紡ぎ出すが、本作にはドラマーがそもそも存在しない。ここでは伊藤彩ストリングスカルテットのヴァイオリンとピアノなどが、伊藤ゴローのギターと混じり合いながら、穏やかな音を描いていく。ガル・コスタとの共演で有名な「トゥー・カイツ」はコーラスが多用され賑やかな雰囲気を醸し出していたが、ここでは音数の少なさが曲本来の持ち味を引き出している。豊潤で艶を湛えた演奏が、いわゆるクラシック録音とは異なる手法で捉えられている。ここにあるのは、2012年にリリースされたアルバム『GLASHAUS』で確立された、紛れもない伊藤ゴロー・サウンドの発展型だ。「太陽と道」の邦題で知られる「エストラーダ・ド・ソル」もエリス・レジーナとの共演がお馴染みだが、ここではピアノのみが広い空間の中に立ち現われる。この曲はピアノの響きがとても印象的だ。ヤマハのグラウンド・ピアノCFXの蓋は取り払われ、ピアノのハンマーと弦の間にフェルトが挟み込まれ弱音までが収められた。この微妙な音の揺らぎが、聞き手を夢の世界へと誘ってくれる。これは札幌の芸森スタジオでレコーディングされた大貫妙子+坂本龍一による『UTAU』(2010年)にあえて収録されていた空調の音が不思議と心地よく感じられたのとある部分共通するかも知れない。

 本作でとりわけ注目が集まるのが、54歳の時にジョビンが二人目の奥さんとの間に授かった愛娘のことを歌った「ルイーザ」だろう。ここではゲストにクラシック・ギターの村治佳織とチェロの遠藤真理が参加し、他の曲とは異なる音世界が披露されている。耳を澄ますと、まるで録音現場に迷い込んでしまったような臨場感が追体験できるのだ。楽器の直接音のみならず、間接音や音の消え際までがこれほど克明に記録され、それが快音に感じられることは稀といっていい。

 「アンパーロ(オーリャ・マリア)」はひときわ演奏者達の意思が強く感じられ、もともとが映画音楽のメイン・テーマとして創られたことがおのずと理解できる。続く、「ジャルヂン・アバンドナード」はまるで盤質のよくないSPレコードを聞いているようなサウンド・エフェクトの中から楽器が浮かび上がる音創りがとてもユニーク。曲を追わずに音だけに耳を傾けると、時間が逆行しているようなイメージを抱かせる。中盤はノイジーなイメージはほぼ消え去り、見通しがよくなり時は正常に動き始める。このノイズの取り入れ方は坂本龍一やビョークなどにも通じており、抗し難い説得力がある。「インセンサテス」では音数を絞った楽器構成で、音のキャンバスに一音一音色が付けられていく。「シャンソン・プール・ミシェル」は本作で唯一ジョビンらしさが垣間見られるアレンジで、選び抜かれた音色が耳へと届けられる。ここでもピアノのハンマーの動きなどが弱音まで捉えられ、聞き手の想像力を刺激して止まない。

 ジョビンの後期を代表する「パッサリン」は、伊藤ゴロー+ジャキス・モレレンバウム名義の『ランデヴー・イン・トーキョー』でも披露されていたが、ここではその演奏とも異なる音世界が構築されている。「アルキテトゥーラ・ジ・モラール」はジョビンの名作『ウルプ』に収録されていた曲で、オリジナルはオーケストラによるアレンジがとても素敵だった。ここでは重層的な音の重なりに聞き手は包囲され、1分30秒過ぎからはまるで異空間の音像が出現する。楽器の構成と音色がサウンド・エフェクトと相まって、摩訶不思議な感覚を与えてくれるのだ。そして、ラストを締め括る「アーキテクト・ジョビン」はオリジナル曲で、アントニオ・カルロス・ジョビンの音楽が未来へと羽ばたくような陽性なサウンドに心を洗われる。

 本作は伊藤ゴローのミュージシャンとしての技量はもちろんのこと、バンマス/プロデューサーとして才能が最大に活かされ、アントニオ・カルロス・ジョビンの音楽が確実に深化を遂げている。曲の構造を俯瞰することで見えてくるありのままの姿に、もう一度命を吹き込む作業はすでに彼にしか成し得ない領域にあると強く感じる。(北村昌美)

 


 

【NEW RELEASE】

伊藤ゴロー アンサンブル
『アーキテクト・ジョビン』

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