【flumpoolハイレゾ大使就任記念インタビュー】これからも新しい景色をファンと、4人で見ていきたい

 秋が近づいてくるとmoraはハイレゾ周年のシーズンに突入です。今年はハイレゾを配信して10周年のアニバーサリーイヤー!“ハイレゾをたくさんの人に聴いてほしい”という思いから、毎年素敵なアーティストのみなさんに就任いただいたハイレゾ大使。記念すべき10周年はflumpoolのみなさんを迎え、盛大にハイレゾをアピールしたいと思います。

2008年、ダウンロード限定シングル「花になれ」でデビューをはたし、やさしくも力強く、人の心に寄り添う言葉をバンドならではのダイナミックなサウンドにのせ、唯一無二の音楽を届け続けてきたflumpool。デビュー15周年を迎え、これまで辿った軌跡や、10月9日(火)にリリースされるベストアルバム『The Best flumpool 2.0 〜 Blue[2008-2011]& Red[2019-2023]〜』についてお話いただきました。

和やかな空気を纏い、心地の良いテンポで繰り広げられる会話のなかの絶妙なツッコミや音楽に対する真摯な思い。数々の壁を乗り越え、決して誰にもほどくことのできない4人の深い絆が垣間見えます。

 

 

『 The Best flumpool 2.0 ~ Blue[2008-2011]& Red[2019-2023]~ 』
flumpool

AAC ハイレゾ
※mora限定LIVE音源収録対象

※こちらの作品は10/9(月)より配信開始です

 

今回リリースされるベストアルバムは、mora限定のスペシャル特典が!ハイレゾをまとめ購入いただくと、今年の6月に中野サンプラザで開催された、『さよなら中野サンプラザ音楽祭 supported by コカ・コーラボトラーズジャパン 〜flumpool Get Back Live「Real 2023」〜』のライブ音源が楽しむことができます。メンバーのみなさんも実際に試聴した、リアルさながらのライブ体験をハイレゾで体感してみませんか?

 

活動休止を経て見えた“表現者としての扉”、過去を振返りさらなる前進へ

――デビュー15周年、おめでとうございます。これまで歩んだ軌跡を辿りながらお話をうかがいたいのですが、そもそもバンド名の“flumpool”はどのようにして決められたのでしょうか?

尼川元気さん(以下、尼川):懐かしい、質問やな。

山村隆太さん(以下、山村):結成の時やろ?

阪井一生さん(以下、阪井):(ドラムの)誠司が入った2007年の時に名前を変えたんです。

山村:元々幼馴染だった3人(山村、阪井、尼川)で4、5年くらい前身のバンドをやっていて、そこに誠司が加入してきたタイミングでflumpoolっていうバンド名になったんです。それまでの「cube」から「flumpool」になったのは、色々な候補があったんですけど、一生の案だよね。

 

――造語、というお話もあるようなのですが。

阪井:いや、それは後付けですけどね(笑)。たまたま観ていたサッカーチームのリヴァプールの試合から“あ、プール(の響き)いいね~”、その後たまたま行ったFlanc flancから“フランとプール混ぜたらカッコいいな”と。

山村:何で雑貨屋さんと、サッカーチーム(笑)?

阪井:バンド名を考えている時に、たまたま自分の近くに語源としていいものがあって。本当はバンド名もみんなに任せていたんですけど、1個だけ候補を出したら決まってしまいました。

山村:僕たちもそんなに尖った生き方をしていたわけでもなく、かといって真っ直ぐに生きていたわけでもなく・・・。響きも、雰囲気も自分たちに合っているなと感じました。

 

――山村さん、阪井さん、尼川さんは30年以上のお付き合いになるかと思いますが、幼馴染と仕事をするとなると、気持ちの切り替えは大変ではないですか?

山村:良くも悪くもあるんですよね。ある意味プロになりきれないところもあって。元々音楽以外で通じている、似ている部分も共有しているので、この15年でその良し悪しを思い知った感じはありますね。

 

――本格的にデビューを目指そうって思ったきっかけはありましたか?

山村:メンバーそれぞれのタイミングであったとは思うんですけど。

尼川:・・・・ないよ(笑)。バンド活動をしていて、目指そうっていう気持ち・・・あった?

阪井:デビューしたい、みたいな?

尼川:本格的にデビューの話が出てくるまで、意識したことなかったよ。

山村:デビューっていうのが、僕らにとっては抽象的なものだったかもしれないね。

阪井:どちらかというと、もっと近い目標を目指していたと思います。この会場でワンマンライブがしたいから頑張ろう、っていう気持ちが強かったかな。

山村:元々路上ライブ出身なので、ライブごとに今日は1人、次の日は10人っていう感じで観客を増やしていくことが自分たちのステップアップに繋がるという意識が強くて。音源が自分たちの歌を広めていくというよりも、生のライブで聴いてくれる人たちを増やしていく道しかないと。なので、メジャーデビューのお話をいただいた時は、凄く恵まれたきっかけをいただいたなと思いました。

 

――小倉さんは、2007年に加入されていますが、幼稚園からのお付き合いで関係性が築かれているなかに加わるということに、不安はありましたか?

小倉誠司さん(以下、小倉):正直全くなかったですよ。当時音楽から離れていて、音楽の道は諦めていたので、“このメンバーと活動するのを僕の人生のなかで最後にしよう”っていう決意をもって入ったので、不安はなかったです。

 

――4人で初めて音を出した時のことって覚えていますか?

小倉:川越かな。チコ(ライブスタジオ)やね。

尼川:めっちゃ覚えているけどね。

阪井:当時(小倉が)埼玉に住んでいたので、初顔合わせの日だったんですよ。事前に音源を渡して、お互いのことをまだ良く知らなかったので、遊びがてらスタジオに入ってみましょうかってことになりました。

 

――スタジオに入った時に、“あ、この4人やっていくんだ”という感覚は?

全員:どうやったっけ・・・(汗)。

尼川:でもブランクはめっちゃ感じたよな?

小倉:そう、ブランクはあったから。本当に2年ぐらいドラムに触っていなかったので、めっちゃ久々にバンドやっているなって。

尼川:僕らもメンバーをすごく探していたし、最後の機会に賭けているっていう思いも伝わってきて、目指している方向は合っているなって感じました。なので正直・・・音をバシっと合わせて“あ、これだ”みたいなものは全然ないです(笑)。

山村:凄く自分のプレイに対して、ストイックさは感じたよね。「クソー!!!!」って自分のプレイにキレたりして。

尼川:え、怖っ(笑)。むっちゃ嫌や。膝バシッ、バシッて叩いて悔しがるみたいな?

阪井:絶対嫌や(笑)。

小倉:こーわっ。

山村:膝叩くなよ、みたいな。でも俺はそんなストイックさをポジティブに捉えたけどね。

小倉:自分がやりたいプレイをできなくて、悔しがっていたのは記憶にある。

山村:やりたいことができなくて、それでヘラヘラしていたら“あ、この人大丈夫かな?”って思うけど、そういうストイックなところが信頼できて、良いイメージがあったかな。

 

――デビューから15周年、様々な活動のなかで特に印象的な出来事を3つ挙げるとすると?

阪井:まずは活動休止があるよね。

尼川:ダイエット休止、ダイエット休止(笑)?

阪井:一大トピックス(笑)?

山村:あれは半分ネタやん。

尼川:全部休止やん(笑)。

阪井:ま、デビューは絶対だよね。

山村:活動休止とメジャーデビュー。あとは、コロナ禍のタイミングではあるけど独立もだね。

 

――阪井さんがダイエット休止に入られたときは、一切ギターには触れず?

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阪井:あ、そこ広げちゃいます(笑)?普通に制作とかもしていましたよ。話題作りというか。

尼川:ただのネタで、ほんまに休止していた感じではないですね。ちょっと世間を騒がせたい、みたいなところから始まって。

山村:ほんまに体を少し絞ってほしいとは思っていたけどね。

阪井:なので、結果発表のイベントで痩せてでてきたのも、あれ僕じゃないです(笑)。

尼川:いやもうややこしくなる!

小倉:(別の人が登場したという)都市伝説(笑)?

阪井:都市伝説作っていこうや(笑)。

尼川:確かに別人みたいではあったけど。

 

――2017年12月から約1年、活動休止期間中はどのように過ごされていたんですか?音楽活動は一切行っていなかったのでしょうか?

山村:僕は全く音楽活動はしていなかったですね。

小倉:ファンクラブの活動とか、変わらず活動はしていましたね。

阪井:あとは楽曲提供とか。

尼川:違うバンドやったり、こんなに時間があることもなかったのでイギリス行ったりしていました。

阪井:かっこええな(笑)。

 

――活動休止期間の前後で、歌詞の内容や起用する音など音楽制作に変化はありましたか?

阪井:そこまで大きく制作に変化はありませんが、活動再開後にリリースした「HELP」は歌詞先行でできた曲で、僕らはあまり歌詞から先に音楽を作ることがなかったので、珍しかったかもしれません。

山村:バンドとして積み上げてきたものが、活動を休止したことで一気になくなってしまった気がしたんです。でも、ボーカルとしてのプライドや自信が崩れ去ったからこそ前に進めたというか。自分が持っていた強さは意外と勘違いで、弱い部分や不安を伝えられる強さを持つことが、本来音楽をとおしてやりたかったことだったんだなと。それまでは“flumpool”という大きな看板を背負っていたんですけど、背負っていたものを下ろした時に、初めて表現者としてのドアが見えた気がしましたね。

 

――デビュー日の10月1日(日)には、初のホールツアーが始まった思い出の地、LINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)で当時のセットリストでライブを開催するんですよね。

山村:卒業アルバムを見返したり同窓会へ行くように、過去を振り返ることで未来が見える瞬間があると思うんです。自分が歩んできた足跡を辿って振り返るからこそ、前を向ける時が人生の要所々々にあって、まさにこの15周年というタイミングがその時だったのかなと思っています。過去を振り返って、しっかりと前に進んでいけることを期待して、今回改めてこのセットリストで開催することにしました。

 

――ホールツアーの初日のことは、覚えていますか?

阪井:急遽決まったんですよね。なので、映像にも残っているんですけど、緊張もあって声が出なかったりして。

山村:2日目からは大丈夫だったけど、初日の声はガラッガラだったよね。当時はバンドとしても凄く順調な時期だったので、悔しかった経験になりましたね。

 

――10月6日(金)には武道館でのライブも控えていますね。

山村:もともと武道館のステージに立つことは夢ではあったんですが、コロナ禍でなかなかライブ中に声を出せず、音楽が不要不急だといわれてきた世の中がようやく落ち着いてきた時に、ファンのみなさんと集まって声を出して集まれる幸せを感じたいなと思っています。コロナ禍でのライブは、なんともいえない不思議な光景だったので。

阪井:何度かやっていくうちに慣れてはいったけど、正直やりにくさはあったよね。違和感が強くて。

山村:二度とやりたくないよね。

阪井:逆に今度は声出しがないことに慣れ過ぎて、普通のライブの感覚が分からなくなって、声を出してライブをするってどんな感じだったかなって思うくらいで。

 

――観客のみなさんの“声を出せないもどかしさ”も伝わってきた?

山村:そうですね。もちろん当時は、その時できることを精一杯やろうと取り組んでいましたけど、このままこの状況が一生続いてしまうのだったら、僕らも夢として音楽を目指さなかったんじゃないかなと。それくらい音楽の魅力が半減してしまう気がして、ショックでしたね。と同時に、お客さんの声援がどれぐらい大切かっていうことを改めて気づくことができた機会でした。

 

“声”にフォーカスしたベストアルバム、当時の熱量に新たな息吹を注いで

――10月9日(月)にはベストアルバムがリリースされますが、今回Blue盤とRed盤それぞれに収録した楽曲はどのように選ばれたのでしょうか?

山村:10周年を活動休止中に迎えたので、15周年はポジティブに色々なことに取り組もうということでベストアルバムをリリースすることになりました。ただ、過去の集大成としてベストアルバムを出すにしても、今はサブスクで音楽を聴くことが主流になってきているので、プレイリストを並べ替えたものにはしたくないなという思いが前提にありました。

なので、音楽でこの15年間を振り返るにあたって何かいい案はないか話し合って、僕が悩まされて一番変化をもたらしてきた“声”に着目して15年の歴史を感じてもらえたらなということで、バンド初期の曲を再録音してBlue盤に収録しています。Red盤には、活動休止やコロナ禍、事務所からの独立を経て成長した自分たちの姿を“成熟の赤”として感じでもらえるような曲を収録しました。

 

――再録音中に歌い方など、意識したことはありますか?

山村:歌のレコーディングは一生と2人だったんですが、“(リリース)当時には適わないな”って思ったことは何度もありましたね。歌のテクニックとかではなく、初期衝動というか。手紙は書きたての時に読むのが一番熱量がある感覚に似ているというか。

 

――まっさらな状態の強さみたいなものを感じた?

山村:そうですね。言葉を最初に生み出して、外側に発信していくエネルギーの強さは、初期の頃に詰まっているなと。そのエネルギーに15年の経験をもって、どう抗っていくかっていうところが難しかったですね。

 

――そのエネルギーにはどのように向き合っていったのでしょうか。

山村:引き出しの奥から出てきた学生の頃に書いた、ラブレターや手紙をもう1度読み直すことに似ているなって思っているんです。書いた当時の気持ちには勝てない部分はあるけど、そこに書いてある“好き”とか“未来”、“夢”という言葉が時間を重ねることにつれて捉え方が変わってくると思うので、今の自分でしか伝えられない言葉の意味、重みがあるんじゃないかなっていう感情は、レコーディング中に芽生えてきましたね。

 

――リリース当時の元の音源は、再録音前に聴き比べて臨まれたんですか?

山村:そうですね。徹底して聴いていましたね。

阪井:“ここはどうやって歌っていたっけ?”って確認して、ずっと聴いていたよね。面白かったですよ、15年でこんなに変わるのかと。

山村:ところどころリリース当時を再現しつつ、再現しなかったり。

阪井:ライブでいつも歌っているような歌いまわしも音源とは違う部分なので、今はそれで面白いかなと思ったりするので、取り入れたりしたよね。

 

――収録曲で特に印象に残っている、大切にされている曲はありますか?

山村:再録音の話もでたので、やっぱり「花になれ」かな。

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阪井:俺も「花になれ」やな。15年経って一番変化を感じた曲ですね。当時は当時でこの曲しかなかったんですけど、今回の再録音のほうが良いなって思っているんです。歌のテクニックや言葉の強さも含めてね。レコーディングしながら感動していたんです。めちゃくちゃ良くなったなって。

小倉:僕は「Over the rain~ひかりの橋~」かな。もちろん当時の歌い方も好きなんですけど、録り直した音源を聴いた時に、“エモッ”って思って。当時の音源と聴き比べても鳥肌が立つ感じがあったんですよね。特にサビの歌い回しの「誰もが」の“も”の部分とか。

山村:こだわったよ(笑)。

小倉:そうだろうなっていうことが分かって嬉しくて。だからこそエモいなって感じたんだと思います。

 

――ハイレゾでの聴きどころは?

阪井:やっぱり音楽を作っている身としてはハイレゾで聴いてもらえると嬉しいですよね。繊細さや解像度も含めて、自分たちがこだわっていたものがより伝わると思うので。

山村:僕はボーカリストなので、“声の温度”がハイレゾだと伝わってくると思うんですよね。今回は声にこだわって再録音をしているので、ハイレゾで聴いてもらえると僕らが込めた温度感を伝えられるんじゃないかなと思います。

 

――15周年を迎え、今後の目標はございますか?

山村:バンドとしてはまだまだ見ていない景色があると思うので、4人で目に焼きつけていきたいと思っています。もっと大きな会場だったり、海外でライブをしてみたり。デビュー当時からこの思いは変わっていないんですけど、これまで支えてくれた “一緒にその景色を見てほしいファンのみなさんがいる”ということがこの15年での変化だなと思っています。

 

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