ベルリンフィル主席奏者、清水直子 ソロアルバム 96Khzのオリジナル音源(Hi-Res向けリマスター済み)で配信開始

マイスター・ミュージックより、ベルリン・フィル主席奏者、清水直子によるソロ・アルバムを
96Khzのオリジナル音源(Hi-Res向けリマスター済み)で配信開始。

ヴィオラ・アマービレ

DSD[5.6MHz/1bit]

FLAC[96.0KHz/24bit]

AAC[320kbps] 


<出色の魅力を具えたヴィオラのアルバム>


 ヴィオラという楽器はけっして、一般に考えられやすいような、ニュートラルな存在ではない。それどころか、独自の、掛け替えもない美感の世界を、この楽器はしっかりと持っている……。ただし、そのような実感を聴く者の耳と心とにもたらすためには、高い伎倆、優れた音楽性が、弾き手に具わっていなければなるまい。

 清水直子によるこの「ソナタ・アルバム」は、選曲の良さに加え、ひたむきで秀抜な表現意欲の点からも、疑いなく、上記のような要求を満たす1枚であろう。とりわけ、演奏されること少なく、ディスク録音は更に稀な、レベッカ・クラークの<ソナタ>を、おそらく会心の演奏で味わうことができるのは、大いに力こぶを入れたい魅力的なポイントである。

 否、そればかりではなく、それぞれに時代も傾向も異る4つの楽曲を鮮やかに弾き分ける天分と研鑽の表れを心措きなく讃えたい。


<曲目について>                 


J.S. バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト短調

 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)は、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタを3篇書き残している。念のために記しておくと、ルネサンス期からバロック期まで西欧社会に用いられたヴィオラ・ダ・ガンバは、ヴァイオリン属(ヴィオラ、チェロもそこに含まれる)とは別系統のヴィオール属に入る弦楽器で、ヴァイオリン属のように5度間隔に張られた4本の弦ではなく、リュートやギターと同じように、4度間隔に1か所だけ3度間隔をまじえた6本(時に7本)の弦を持っていた。独特な柔らかさ、優美さを持つヴィオラ・ダ・ガンバの音色をバッハは好み、室内楽、時には管弦楽の中にも用いたのである。

 ヴィオラ・ダ・ガンバはバッハの時代からのち一般に用いられなくなり、しばらくはこの楽器のための作品も忘れられていた。しかし、やがて、作品のよさ、美しさを知った人びとがヴァイオリン属の中でも音域の合うチェロまたはヴィオラでこれらを演奏するようになった。

 ト短調ソナタ(BWV1029)は、他の2曲のヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタと同様、バッハが器楽曲の数々を集中的に作曲した、ケーテンの楽長時代(1717-23)の産物だと考えられている。曲は、急・緩・急の3楽章から成る。

・第1楽章 ヴィヴァーチェ ト短調 4分の4拍子。

・第2楽章 アダージョ 変ロ長調 2分の3拍子。

・第3楽章 アレグロ ト短調 8分の6拍子。

 

ブラームス:ヴィオラ・ソナタ 2 変ホ長調 作品120-2

 ヨハネス・ブラームス(1833-97)が残した室内楽の数々は、後期ロマン派時代におけるこのジャンルを代表する珠玉だと言えよう。その中で、晩年の作であるクラリネット(またはヴィオラ)のための2つのソナタは、<クラリネット五重奏曲><クラリネット三重奏曲>と並んで異彩を放っていると言える。 

 1891年初春のこと、マイニンゲン市を訪れたブラームスは、ここを本拠に活動していたクラリネットの名手リヒャルト・ミュールフェルトと相知り、彼が奏するモーツァルトやウェーバーの楽曲にいたく心を打たれた。当時、人生のたそがれを意識し作曲意欲も弱まっていたブラームスだったが、ミュールフェルトの音色と歌いくちが醸し出す情緒に刺激され、霊感の戻るのを感じて、上記のような名作を再び生み出したのだった。

 1894年、ブラームスの手になる最後の主な作品として作曲された2つの<クラリネット・ソナタ>は、作曲家自身の意向で「ヴィオラで弾いてもよい」とされ、事実、この楽器で弾いてもクラリネットに劣らず美しい効果を出せることが、広く知られるに至った。情熱的で憂いに満ちた第1番のソナタ(ヘ短調)に対して優美な抒情性を湛えた第2番変ホ長調は3楽章から成っている。

・第1楽章 アレグロ・アマービレ(愛らしく、優しく) 変ホ長調 4分の4拍子 ソナタ形式。

・第2楽章 アレグロ・アパッショナート(情熱的に) 変ホ長調 4分の3拍子 三部形式。

・第3楽章 アンダンテ・コン・モート(動きを持って) 変ホ長調 8分の6拍子 変奏曲形式。

 

ヒンデミット:ヴィオラ・ソナタ 作品25-4

 パウル・ヒンデミット(1895-1963)は、20世紀ドイツの重要な作曲家・指揮者であると同時に、一流のヴィオラ奏者でもあった(その名演はレコードにも残されている)。交響曲(<画家マチス>が有名)をはじめ数々のジャンルに多くの作品を残し、とりわけ室内楽の畑では、ほとんどの楽器のために<ソナタ>を書いたことで知られるヒンデミットだが、得意の楽器ヴィオラのためにはおのずと力を入れ、協奏曲 <シュヴァーネンドレーヤー>、ピアノ伴奏付きのソナタ3篇、無伴奏のソナタ4篇などが知られる。ここに聴くヴィオラとピアノのためのソナタ作品25-4は1922年の作で、ほかに1919年作の作品11-4、1939年作の作品番号を持たない1曲があるため、強いて言えば「第2番」ということになる(ヒンデミット自身はヴィオラ・ソナタに番号を付さなかった)。

 このソナタは、第1楽章がハ長調風に始まりホ長調風に終る。第2楽章は「無調」としてよい。第3楽章もそのとおりである(「複調」的な処もあるが)。ヒンデミットはそもそも後期ロマン派の風土をのがれ出て表現主義、近代主義に立った作曲家だから、それも当然のこと。ただし、彼の作風には調性的(ないし旋法的)な音感を捨て切らずに残し、伝統的な“分りやすさ”を忘れない面もある。すなわち、理屈に頼らず虚心に聴いて“おもしろい”音楽を、彼は書いている。

・第1楽章 ごく活発に。はっきりと、力に満ちて[ドイツ語による指示、以下同様] 4分の6拍子(譜面には明記されていないが)。 

・第2楽章 ごくゆっくりと。 4分の4拍子(同上)

・第3楽章<フィナーレ> 活発に。 4分の4拍子(同上)—この楽章では3連音符を多用したリズムの戯れが目立つ。無調的だが最終の和音はホ長調の主三和音。

 

クラーク:ヴィオラ・ソナタ

 レベッカ・クラーク(1886-1979)は、93歳の長寿を保ってニューヨークに没した英国出身のヴィオラ奏者かつ作曲家。ニューグローヴ音楽辞典で引いてみると、「レベッカ・クラーク」の項が無いではないがほとんど何も書いてなく、ジェイムズ・フリスキンの妻なので彼の項を見よ、としてある。おやおや、昔ながらの女性作曲家蔑視が今に生きているのか、と、つい思ってしまう。止むなくJ. フリスキンを引いてみると、彼はスコットランド人のピアノ奏者・作曲家(1886-1967)である。1925年にアメリカで初めて<ゴルトベルク変奏曲>を演奏した人で、ジュリアード音楽院のピアノ科教師をつとめたという。レベッカ・クラークはスタンフォード大学作曲家の同級生であったフリスキンと結婚し、夫と共にアメリカに渡ったらしい。ヴィオラ奏者、作曲家として才能を示し、1919年作の<ヴィオラ・ソナタ>、1921年作の<ピアノ三重奏曲>は、アメリカのバークシャー音楽祭で賞を受けた。

 ヴィオラとピアノのために書かれた3楽章のソナタは、なかなかの大作、そして意欲作であり、彼女の音楽的教養、勉強の成果と共に、持って生まれた感性、直観力が並々ならぬものであったことを証明している。

 このソナタの譜面の枕には、フランス・ロマン派の詩人アルフレッド・ド・ミュッセの詩篇<五月の夜>から、次のような1節が掲げられている———

 

 詩人よ 取り給え 君のリュートを

 この夜は醸し出す 青春の葡萄酒を

 あたかも神の血管のうちに……

 

———たしかにこの曲のうちには、そのような若々しく、しかも神秘感を湛えた抒情、詩的な霊感が盛られていることを、聴く者は感得できるであろう。後期ロマン派的であると同時に印象主義からの影響も思わせ、虚飾のない筆致がどこかピツェッティに相通じる古典性をもおびた感触は、たいそう魅力に富んでいる。楽章は3つある。

・第1楽章 インペトゥオーソ(熱烈に)〜ポコ・アジタート(やや落ち着きなく)ホ短調(ただし旋法風)〜ホ長調(ただし転調を含む)4分の4〜4分の3拍子。

・第2楽章 ヴィヴァーチェ イ短調(ただし旋法風、転調も豊富)8分の6拍子。[ヴィオラは弱音器をつけるよう指定がある。]

・第3楽章 アダージョ〜アレグロ イ短調(ただし旋法風、自在に転調を重ねる) 4分3拍子。(ただし中途から4分の4、8分の12など変化が多い)。

<濱田 滋郎>

*初回(2011年)当時のアルバムより転載


<演奏家プロフィール>

清水 直子 ヴィオラ       

 桐朋学園大学でヴァイオリンを広瀬悦子、江藤俊哉の各氏に、ヴィオラを岡田伸夫氏に師事。93年ヴィオラに転科し、研究科修了。1994年よりドイツ・デトモルト音楽大学で今井信子氏に師事。95年マルクノイキルヘン国際コンクール優勝。96年ジュネーヴ国際音楽コンクール最高位(1位なしの2位)、97年ミュンヘン国際音楽コンクール第1位受賞など数々のコンクールに入賞の他、マールボロ、ロッケンハウス各音楽祭に参加、室内楽奏者としての活動も頻繁に行っている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、首席ヴィオラ奏者として活躍する一方、ソリストとして国内外のオーケストラとの共演など世界各国で活発な演奏活動を展開している。

Naoko Shimizu, Viola

In 1997 at the International Competition of the ARD in Munich Naoko Shimizu was awarded the 1st Prize for Viola, a prize which had not been awarded for 21 years. In 1996 she won the International Competition in Geneva as well as the Young Concert Artist International Auditions in the United States in 1998. She has appeared as soloist with the Bavarian Radio Symphony Orchestra, with the Orchestre de la Suisse Romande, as well as with many Japanese orchestras. As a chamber musician she participated in, among others, the Marlboro Music Festival and the Lockenhaus Festival. Naoko Shimizu studied at the Hochschule fuer Musik in Detmold, Germany. Since 2001 she has been the principal violist of the Berlin Philharmonic as well as being in high demand as a soloist and a chamber musician.

 

オズガー・アイディン ピアノ 

 アメリカ生まれ。トルコのアンカラ音楽院卒業後、給費留学生としてロンドン王立音楽院に留学。その後ドイツ政府の奨学金を受けハノーファー音楽大学で研鑽を積む。タチアナ・ニコラエヴァ、フェレンク・ラドシュ、アンドラーシュ・シフ各氏のマスタークラスに参加。1997年ミュンヘン国際音楽コンクール・ ピアノ部門にて最高位受賞の他、クリーブランド国際ピアノ・コンクール、カルガリ国際ピアノコンクール等で数々の賞に輝く。バイエルン放送交響楽団、ロンドンBBC交響楽団等ドイツ国内外の数多くのオーケストラと共演。ザルツブルク音楽祭、ラインガウ音楽祭に出演するなどヨーロッパを中心にソリストとして活躍する一方、最近ではヴァイオリニストの五嶋みどり氏との共演にも力を入れている。

Ozgur Aydin, Piano

Born in the USA, Ozgur Aydin studied with Peter Katin at the Royal College of Music in London and with Prof. Kaemmerling in Hanover. He has also received valuable impulses from Tatiana Nikolaeva, Ferenc Rados and Andras Schiff at master classes and festivals. In 1997 Ozgur Aydin won the renowned ARD International Music Competition in Munich, which made him a welcome guest in concert halls throughout the world. In the same year he was awarded The Nippon Music Award of Tokyo. He has appeared as soloist with a large number of German orchestras, including the Bavarian Radio Symphony Orchestra. He has been a guest artist at such festivals as the Salzburg Festival, Edinburgh Festival, Rheingau Music Festival. He performs regularly with the well-known violinist Midori.