日高央の「今さら聴けないルーツを掘る旅」 vol.20
Vol.20 Theme : 「暖簾を替えても屋号は保てるのか!?」
スターベムズの無料配信&会場限定CDレコ発も無事に終わり、各地で激アツな反応いただきました、ありがとうございます! 47歳の糞爺ぃミュージシャン率いるバンドに興味を持って貰えるだけでもありがたいのですが、いかんせんキャリアが長い分「BEAT CRUSADERS時代のネタはもうやらないんですか?」とか、糞爺なだけに言いたいこと言って「その発言は間違っています」とお叱り受けたり、オフィシャルFacebookに「チケ余ってます」と投稿されたり、様々な反応もいただいて非常に勉強になりました。
俺みたいにワガママなオッサンがバンドを続けられてるのも奇跡だと思いますが、逆パターンでもしVo.だけが入れ替わってしまったら、果たしてバンドはどうなるのか……バンドの顔ともいうべきボーカリストが交替しながらも、絶大な支持を受けた奇跡のバンド、ウルトラヴォックスを今回は紹介します。
さかのぼること40年前の1974年、最初のVo.ジョン・フォックスを中心にロンドンで結成されたウルトラヴォックスは、当初はデヴィッド・ボウイ的なグラムROCKを標榜していましたが、来たるべきPUNKの波に乗ってアグレッシブなROCKサウンドを奏でるようになり、1977年にシングルデビュー。当時の代表的シングル曲「Young Savage」(試聴)はその勢いに溢れる名曲ですし、今でいうHIP HOP的な役割を担っていたレゲエのリズムを取り入れた「Dangerous Rhythm」(試聴)も野心的な佳曲。
同時にPUNKがワンパターンになってきている事をいち早く予見したジョン・フォックスは、1978年発表の3rdアルバム『Systems of Romance』にてシンセサイザーを大胆導入し、その後のニューウェーブ/テクノの先駆けとなりました。特に「Quiet Men」(試聴)等はその後のウルトラヴォックスのサウンドの要でもある<ソリッドなギター+シンセサウンド>の基本形となり、数多くのフォロワーを生み出しました。
『Systems of Romance』
しかし、当時としては革新的な音楽性ゆえに商業的な成功を得られなかったことと、よりパーソナルな音楽に邁進したいということで、78年にはVo.ジョン・フォックスが脱退してしまいます。バンドの顔であり、メインのソングライターを失ったウルトラヴォックス……更にレコード会社からも契約を切られ、残されたメンバー達はゲイリー・ニューマン等のバック・ミュージシャンとして日々を食い繋いでいました……普通ならここで解散でしょうが、彼らはここで大胆な行動に出ます。
ウルトラヴォックスのバイオリン兼キーボードのビリー・カリーが、当時クラブ・シーンを席巻していた<ニューロマンティック・ムーブメント>(男性も女性も黒尽くめファッション+白塗りメイクのゴシックな装いで、シンセサウンドに合わせて踊りまくっていた)の立役者、ヴィサージのレコーディングに参加した時、同じくゲスト参加していた元リッチ・キッズ(セックス・ピストルズを追い出されたグレン・マトロックのBAND)のVo./Gt.ミッジ・ユーロを、思い切ってウルトラヴォックスのボーカリスト兼ギタリストとして誘い、元々彼らのファンだったミッジはオファーを快諾。
ジョン・フォックス時代の曲も歌いこなしつつ、それまでのエレキギター+シンセサウンドに、更にシンセベースのアグレッシブさや(「New Europeans」「Sleepwalk」)、逆にクラシカルな叙情性も称えた楽曲(「Vienna」「Western Promise」)も持ち込んだミッジ・ユーロの効果は絶大で、彼が参加後初のアルバム『Vienna』は全英トップ10に入る大ヒットを記録。結果ジョン・フォックス時代を上回る知名度やセールスを上げる奇跡を起こします。
『Vienna』
その後もコンスタントにヒットを飛ばしますが、商業的な成功による疲弊から1988年にバンドは解散。2008年にミッジ・ユーロ体制での再結成を図り、今では懐メロBANDとして欧州を中心にリリースやLIVEを続けています。最初のVo.ジョン・フォックスも、現在ではアンビエントなシンセ・ミュージックの先駆者としてコンスタントな人気を誇っていますが、BANDの看板が入れ替わっても継続している稀有な例として、ウルトラヴォックスの名は音楽界にその名を刻みました。BANDなんて所詮は水物……皆さんも一切合切の偏見を捨て、ロマンティックな楽曲達に身を委ねてみて下さい。自分の人生のヒントが眠っているかもしれませんよ?