原田和典の「すみません、Jazzなんですけど…」 第10回

~今月の一枚~

Brigitte Fontaine

Brigitte Fontaine [J’Ai L’Honneur D’Être]

 

 オリンピックもパラリンピックも無事終了しました。オリンピックの開会式にカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルが出たこと、パラリンピックでサリフ・ケイタの愛娘が400メートルで金メダルをとったこと、などなど、音楽ファンにとっても嬉しい瞬間がてんこ盛りでした。次回2020年のオリンピックはとうとう日本・東京で行なわれるわけですが……。

 というわけで今回のお題は五輪関連です。編集部のAさんから次のようなメールが来ました。
 「オリンピックとパラリンピックの閉会式パフォーマンスを監督したひとりである椎名林檎氏が、フランスのレーベル「サラヴァ」の50周年記念盤に参加しています。そこで「サラヴァ・レーベル」について、一筆いただくことは可能でしょうか?」

 

名曲「白い恋人たち(13 jours en France)」をリメイクした
「13 jours au Japon ~2O2O日本の夏~」

 

 おお、これは興味深い。ぼくは20世紀の頃から椎名林檎を聴いています。ジャケット・デザインの面白さから『無罪モラトリアム』を買って「積木遊び」を聴いて唸り、こういう歌を歌うひとの動いている姿をぜひ見たいと思ってVHSを買い、『絶頂集』における2本のベースの用い方に嬉しい笑いが止まらず、最近でこそ小南泰葉吉澤嘉代子井上苑子あいみょん、ラブリーサマーちゃんetc…などを聴く機会が増えたもの、やっぱり「椎名林檎は冴えている、現代女性シンガー・ソングライターの長姉的存在として存在感は際立つばかりだ」と、風格さえ感じさせるようになった近作に感じ入っているのです。その椎名林檎と、まさかサラヴァ・レーベルが結びつくとは。

 ぼくがサラヴァを知ったのは椎名林檎を聴くよりもずっと昔、1980年頃のことです。サラヴァを代表する歌姫、ブリジット・フォンテーヌのアルバムが日本コロムビアからまとめて再発されたのです。それを知ったのは確か、「レコード・マンスリー」という月刊誌でした。この雑誌、今はありませんが、その月にリリースされる全ジャンルの全レコードが掲載されているという便利なものでした。売価150円ぐらいだったはずですが、ぼくがよく行っていたレコード店ではLPか何かを買えばおまけでつけてくれました。で、ぼくはブリジットの再発ラインナップの中に、『ラジオのように』(Comme à la radio)という作品を見つけたのです。調べてみたら、前衛シャンソン歌手であるブリジットが、ジャズのバンド“アート・アンサンブル・オブ・シカゴ”(AEC)と共演しているらしい。AECについては、すでに“顔にメイクをしてたくさんの楽器を演奏するグループ”として自分の中にインプットされていたので、ぜひ聴いてみたいという気持ちは高まるばかりでした。

 果たして『ラジオのように』は耳に快く響きました。シャンソンとジャズの融合、などという大げさなものではなく、大して広くない一つの部屋に全員が集まって輪になりながら和気あいあいと音楽というゲームに興じているような印象を受けました。トランペットはAECのレギュラーである故レスター・ボウイではなく、ワダダ・レオ・スミス(ぼくはこの夏ニューヨークに行き、彼+弦楽四重奏+エレクトロニクスの共演を楽しみました)。それもプラスになりこそすれ、マイナスにはなっていません。少女の面影を残すブリジットの歌声、なんだか物哀しいメロディ。この曲は日本のミュージシャンにも人気があり、戸川純、坂田明、「あまちゃん」の音楽で日本中に名を広めた大友良英などがカヴァー・ヴァージョンを残しています。ブリジットのテイクは、2003年公開の映画『阿修羅のごとく』の劇中歌&エンディング・テーマにも使用されていますが、故・森田芳光監督はジャズ・ファンとしても知られていましたね。

 ハイレゾで配信されている2013年作品『J’ai l’honneur d’être』は、『ラジオのように』から44年後の制作。サラヴァに吹き込んでいた頃から、そのくらい長い歳月が経過しているのです。当時、少女の面影を残していた声は今や低くしゃがれ、声帯には無数のしわがきざまれているのではないか、と想像できるほどです。はっきり言ってしまえば、老婆の声。声を若作りする歌い手も少なくない中、ブリジットは加齢(=人生経験)をダイレクトにヴォーカル・パフォーマンスに生かすタイプなのでしょう。アルバムを通して、相当に塩辛い音楽世界が続きます。つぶやき、うめくような歌声と、隙間を生かした音作りには、一切の甘味料や「とろみ」が振りかけられていません。だが、これが沁みるのです。ポップな楽曲ということでは、ミュージック・ビデオも公開されている「Crazy Horse」がずば抜けていると思いますが、ぼくが“おや”と思ったのは「Les Crocs」。“起伏を抑えたBABYMETAL”と呼びたくなるような曲調を、今にも痰のからみそうな発声で歌うブリジット。近年の彼女の“境地”を、ぜひハイレゾで満喫いただければ幸いです。

 


 

■執筆者プロフィール

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは@KazzHarada