松尾潔の「メロウな歌謡POP」第7曲目 松田聖子「小麦色のマーメイド」(1982) 後編

第7曲目:松田聖子「小麦色のマーメイド」(1982)

※前編はこちらから

 

 と、ここまで作曲者と編曲者とプロデューサーに惜しみない賛辞を捧げてきましたが、そのうえで言うならばこの曲の最大の肝はやはり松本隆(当時33歳)の歌詞にあるというのが現時点でのぼくの結論です。
 マーメイド、それは人魚。アンデルセン童話『人魚姫』を持ち出すまでもなく、人魚は美の象徴であると同時に悲運や悲恋のメタファーとして用いられることもよくあります。特に「陸(おか)に上がった人魚」は。
 日本文学の世界に目を向けてみると、谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』は白人という「美」への崇拝あるいは妄執を語りつくした作品でしたし、新潟に伝わる人魚伝説に想を得た小川未明の『赤い蝋燭と人魚』のような悲話があることもよく知られています。創作者たちの興味をつねにかき立てるテーマといえるでしょう。

 「小麦色のマーメイド」はその歌詞のなかで恋の終わりまでは描いていません。でもきっとこの若い恋も永遠につづくことはないだろう。そう思わせるだけの不安定な要素が巧みに散りばめられています。
 「涼しげなデッキ・チェアー」で「りんご酒(シードルのことですね)」でくつろぐ女性主人公はプールサイドにいる。「常夏色の夢」を追いかけることができるプールは、間違っても公営プールではない。亜熱帯のリゾートと考えるのが自然です。ホテルかコンドミニアム、あるいは別荘でしょうね。
 「プールに飛びこむ」恋人は「小指で投げキッス」をするようなキザな、いやオシャレな男。ご存じのようにシードルの多くは発泡性です。オシャレな男とのプール・デートで飲むシードルは〈若い恋の行方はうたかたのようなものである〉のメタファーと解釈してもあながち穿ちすぎではないでしょう。
 ただ「りんご酒」という表現には、当時まだ中学生だったぼくは異物感を覚えたものです。直前の「デッキ・チェアー」との対比が余計にそう思わせたのかもしれません。「りんご酒」の部分には4つのノート(音符)が相当しますから、ならばここに「シードル」とあてればよかったのか。あるいは「シャンパン」や「クレマン」や「ペティヤン」といったスパークリングワインの呼称をあてればもっとすわりがよかったのではないか。長じて酒好きの大人になったぼくの妄連想は、今とめどなく続きます。

 しかし、そこにあえて「りんご酒」という古風な響きの日本語を持ってくるのが教養人・松本隆のモダニズムと思いたい。予想を裏切り、期待にこたえつづけてきた詩人の面目躍如といったところでしょう。
 そしてそれは「ぶどう酒(ワイン)」であってはならない。この曲が世に出てからちょうど四半世紀後の2007年に鈴木雅之さん(当時50歳)に「Champagne」という曲を提供しているぼくは体感としてわかるのですが、歌詞でつかう単語としての「シャンパン」からは成熟のイメージが不可分なのです。確かにハタチの聖子にはそぐわない。アルコール低めのシードルこそが気分だというのはよく理解できます。
 つまり松本さんは〈サイダー以上、シャンパン未満〉の気分を「りんご酒(シードル)」の一語で言い表したのでしょう。まあフランス語の「シードル」(cidre)は英語でいう「サイダー」(cider)と同じ意味になってしまい、〈甘みと酸味をふくむ清涼飲料水〉である日本語の「サイダー」との混同を招きかねません。ゆえにこの曲ではあえて「シードル」の使用を避けた、という理由もあるのかもしれませんが。
 日本の「サイダー」にあたる清涼飲料水はイギリスでは「レモネード」(lemonade)と呼びますが、聖子の前作シングル「渚のバルコニー」のB面曲はやはり松本隆とユーミンとのコンビによる「レモネードの夏」です(編曲は松任谷正隆ではなく新川博)。多分に妄想気味にいうなら、そこには「レモネード」から「りんご酒」というイメージの流れがあったのかもしれませんね(余談ながら「レモネードの夏」は先ごろヒットしたお笑いコンビの某ヒット曲のインスピレーションかと取り沙汰された1曲です)。

 「あなたをつかまえて泳ぐ」マーメイドには足がある。ちょっぴりグロテスクな設定です。それも「裸足」。「小麦色」に日灼けしている。そうか、このマーメイドは柄にもなく泳ぎが得意ではないのか――。
 いや、そんなに単純な話ではなさそうです。
 人魚を自認する彼女が今うまく泳げないわけがあるとしたら、それは海にいるべき人魚がプールという不慣れな場所にいるからではないでしょうか。海水育ちの人魚が淡水プールに放たれた不安、もっと言えば窮屈な思いを描いた歌という解釈は感傷的に過ぎるでしょうか。
 ここで松田聖子が福岡県出身ということを考慮すれば、海を「地方(ふるさと)」、プールを「都会(東京)」と読み解くことも可能です。75年、やはり当時20歳だった太田裕美に「木綿のハンカチーフ」(作曲は筒美京平)を提供し、地方(おそらく西日本エリア。なぜなら男性主人公が乗った列車は「東へと向う」ので)と都会(東京)との間で引き裂かれそうな若い恋愛を歌わせた松本さんですからね。
 あるいは歌う聖子の20歳という実年齢に着目するなら、海を「少女期」、プールを「大人の世界」と見立ててもよいかもしれません。となると、そこで「小指で投げキッス」のような物慣れた振る舞いをみせたり、「急にまじめ顔」をつくっては「すねて怒る君も可愛いよ」と上から目線でつぶやく彼は、きっと年上。まさか親子ほどの年齢差のある家族持ち男性との不倫ではないでしょうね……これはぼくが大人になって久しいある時期から抱きはじめた疑念なんですけど。
 「きらい」と「好き」、「嘘」と「本気」を交互に発する主人公は恋愛期特有の躁状態にいます。ゆれる。ゆれている。自我の確立にはまだ時間がかかりそうな不安定さ――。ぼく自身は成熟した大人の女性に惹かれる性質だとことわったうえで言いますが、自分がいくつになっても〈ゆれる年頃〉の女性をこのむタイプの男たちは多いものです。彼らにとっては、ここで描かれる推定年齢二十歳のマーメイド像はじつにチャーミングであることでしょう。

 2番サビが終わって転調するあたりで、この曲は最高の盛りあがりをみせます。転調サビの冒頭には“wink, wink, wink”はありません。なるほど転調自体が〈サビスイッチ〉ですからね。2サビ後にいったん全休符してブレイクをとり、音階をひとつずつ上がっていくシンセサイザー(「1982年」と刻印するかのような音色)で短い間奏を挿入、そしてサビに戻る。ここでの正隆さんのアレンジは、もう完璧な調和美。ため息が出る美しさ。
 間奏後は半音上げた1番サビを繰りかえし歌っているだけかと思いきや、ありゃまあ、「あなたをつかまえて泳ぐの」の最後が「生きるの」に変わっているではないですか。転調のあいだに女性主人公がそこまで妄想を肥大させていたのかと、聴く者は事の重大さに気づくわけです。
 これを夏の恋(=泳ぐ)が永遠の愛(=生きる)へと昇華したと解釈できるほどぼくは人が好くはありません。この子ちょっと重すぎるのでは、相手の男はひいちゃうんじゃないかな……なんて余計な心配もしてしまいます。
 ですが、半音上げることで「泳ぐ」よりも「生きる」をより高い音で歌う松田聖子の声はここで最高のきらめきを放ちます。文字通り「生きる」が生きている。かがやく生命力が注入される。これがあるとないとでは楽曲の印象がかなり違っていたはずです。
 さらにとどめを刺すのがサビの最後に付け加えられた「好きよ きらいよ」。好きの反対は嫌いではなく無関心であると言ったのは有島武郎ですが、じっさい往々にして「きらい」は「好き」の変種であるもの。ここで聖子が極度にトーンを下げてつぶやくように歌う「きらいよ」が、〈大好きよ〉を意味することは誰の目にも明らかです。汚れちまった大人であるぼくも、ハタチの主人公の恋の成就を祈ってあげたくなるのでした――。

 以上、今回はこれまで以上に妄連想の羽根を大きく広げて語ってみました。
 〈松本隆と松田聖子とリンゴ〉をめぐる物語については、翌83年の8月にリリースされたナンバーワン・ヒット「ガラスの林檎」(作曲は細野晴臣)で、シングルのタイトルにまでたどり着いたことを後日談として記しておきます。
 まあ正直に言えば、リリース当時14歳のぼくがこの曲を初めて聴いた印象は〈初めて海外リゾートに行った若いカップルが、現地で舞い上がったり自分たちに酔いしれたりする曲でしょ?〉という皮相的極まりないものでした。ある意味においてはその見方は依然有効かもしれませんが。
 がしかし、不思議なことに、自分が女性主人公の年齢を過ぎ、その親ほどの年齢となった33年後の今のほうが、この曲の滋味をより深く楽しめるのです。若すぎて近すぎて見えなかったことの多さに気づくからかもしれません。だってメロウはいつも過去形なのですから。

 

 

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オリジナルアルバムには未収録の名曲

松田聖子『小麦色のマーメイド』

 

松田聖子のハイレゾ化作品はこちらから

 

 


 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。