aiko デビュー20周年! ~ハイレゾでよりわかるaikoの魅力~

2018年7月17日は、シングル「あした」でaikoがデビューしてから20周年の記念日です。
2016年より、すべてのオリジナルアルバムがハイレゾ配信されているaiko。
音へのこだわりも見せる彼女の作品のハイレゾ音源を、日本で最もaiko愛の深い人物のひとりと言っていいでしょう、ネット上での数々の名文(?)で知られる上田啓太さんに聴いてもらいました。
「ハイレゾでaiko」未体験の方も、これを読めば気になって仕方なくなること請け合いです。

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前々から思っていたんだが、ハイレゾ音源で聴いてもっとも面白いのは、すでに十分に聴き込んだ音源じゃないだろうか。しつこく聴いてきたものほど、ハイレゾで聴いた時の興奮も大きい。自分にとって特別なミュージシャンであり、思い入れの強いアルバムであり、数えきれないほどに聴いた一曲である。

人によって色々な名前が浮かぶことだろうが、私の場合は完全にaikoである。何のハイレゾを聴いてみたいかといえば、aikoのハイレゾを聴いてみたい。とにかく普段から執拗に聴いているし、その結果、日常にだってaikoが侵食してきている。日常の色々な場面で「これはaikoの歌詞にあった」と感じるほどだ。もはやaikoが恋愛を歌っているのか、現実の恋愛のほうがaikoをなぞっているのか判断がつかない。

もちろん、自分の恋愛の一場面において、aikoの歌詞の意味がリアルに理解されることだってある。この感情はaikoが表現していた、と気づくのである。aikoが歌っていたのはこの感情のことだったのか、aikoの言葉は間違っていなかった、と実感させられる。こうなってくると、ほとんど予言者としてのaikoである。aikoはミュージシャンであると同時に予言者だったのか、と感動する。ちなみに先日、この話を知人に話して呆れられた(「予言者ではないと思う」と真っ当な指摘をされました)。

しつこくaikoを聴いていると、スピーカーもイヤホンも再生機器もなしに、脳内で勝手にaikoが流れだす現象だってある。最近の曲だと「ストロー」の中毒性がすさまじく、粘りつくようなメロディと呪文のように繰り返される「君にいいことがあるように」という言葉がひたすらに頭の中を流れていた。

 

ハイレゾでaikoを聴いてみる

こうした色々をあちこちに書いていたところ、moraのスタッフの方からウォークマンが送られてきた。aikoのハイレゾ音源が入っている。具体的には1stアルバムの『小さな丸い好日』から12thアルバムの『May Dream』までが入っている。これを聴いて何か書け、ということである。

 


ウォークマンZXシリーズヘッドフォンh.earをお送りさせていただきました。(スタッフ)

 

実物を手に取って思ったが、「aikoのハイレゾ音源だけが入ったウォークマン」には独特の存在感がある。ぞくぞくする。aikoしか入っていないのである。しかも高音質である。非常にストイックな雰囲気が漂っている。「さあ、aikoと向き合え」と言われた気分だ。まあ、言われなくてもすでに向き合ってはいるのだが、いよいよaikoと向き合う作業もネクストステージを迎えたというところか。

もっとも、音質の変化でそれほど印象が変わるもんだろうか、と思ったのも事実だ。現在の私はCDからパソコンにApple Losslessで取り込んだ音源を聴いている。ハイレゾになるとサイズは五倍ほどになるんだが、それでどれほど変わるのか。

仮にaikoを神だとしてみるならば、高音質でaikoを聴くことは、神の解像度を上げるということだろう。しかし、そもそも神に解像度などあるのか? 神の解像度を上げようとすること自体が、神に対する冒涜ではないのか? 神は解像度とは関係なしに神であるからこそ神なのではないか? そうした疑念も一方にある。なんだか、ややこしい神学的議論に突入しそうな気配があるが、しかし、とりあえず聴いてみるべきだろう。

 

ハイレゾで歌詞の破壊力が上がる

それでまあ、実際に聴いてみると音が良いんですね。圧倒的に音がよい。思わず口調も変わってしまうほどである。そして、やはり音がよくなると純粋に興奮する。ややこしいことを考える必要はなかった。神だろうが何だろうが、解像度は上げたほうがいい。ボヤけた神は嫌だろう。

最初期の「ボブ」という曲はシンプルなアレンジの短い曲だが、ハイレゾで聴いてみると、ボーカルの生々しさが違ってよい。それが破壊力を増している。「えりあし」も素晴らしかった。この曲は冒頭から「ぶったりしてごめんね/愛しくて仕方なかった」という歌詞ではじまるのだが、ハイレゾ音源と密閉感のあるヘッドホンの合わせ技でこの一文を耳に叩きこまれると、なかなか凄まじいものがある。明らかに歌詞の殺傷能力が上がっている。余談だが、以前、あまりaikoを聴いていない知人女性がこの歌詞に衝撃を受けていた。「なんなの! aikoどうしたの! 意外と暴力的なの!? 大丈夫なの!?」と狼狽していた。日常的に聴いている身からすれば「これこそがaikoである」で済んでしまうが、意外とaikoのパブリック・イメージにはなかったのか。

強烈な歌詞といえば、「桜の時」も負けていない。

まぶたの上にきれいな青
薄い唇に紅をひく
色づいたあたしを無意味な物にしないで

これは真正面から「名文」と呼びたくなる。とくに凄いのは「色づいたあたしを無意味な物にしないで」で、まさにキラーフレーズと言うしかない。となると、実際にこれを言ってみればいいのかという話になってくるが、これはやはり、言いたくても言えないのがaiko的だと思われる。口に出せずに心の中で思うことにこそ意味がある。ぞくぞくする。

そして、こうしたことがあると、またヘッドホンもイヤホンも何もない状態で街を歩いている時に唐突に頭のなかにaikoが流れはじめたりする。脳内に流れるとなると、もはやハイレゾも何もなくなってくる気もするが、これもaikoを聴くという行為の一環である。実際に音源を聴き、それが今度は日常のふとした瞬間に頭のなかで流れはじめる。そしてまた音源を聴くことに戻る。このあいだの朝は、衝撃の余韻なのか、ベッドで目覚めると同時に頭のなかに「桜の時」が流れており、「もう夏なのに」と思いながら、あわてて実際の音源を再生した。なにをあわてることがあるのかという話だが、発作にたいして薬を処方するようなものかもしれない。「『桜の時』を早急にハイレゾで処方してくれ!」といった感じである。とりあえず言えるのは、神の解像度が上がると、狂信の度合いも上がるということだろうか。それが良いことなのかは、よく分かりませんけど。

 

執筆者プロフィール

上田 啓太(うえだ・けいた)
ブログ『真顔日記』: http://diary.uedakeita.net
Twitter: @ueda_keita

 

 

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