原田和典の「すみません、Jazzなんですけど…」 第16回

世界初といっていいであろうECMレーベルのSA-CDシリーズ「ECM SA-CD HYBRID SELECTION」に関するトークイベントが、去る3月3日にタワーレコード渋谷店で行なわれました。シリーズの監修者であり、オーディオ評論家/ベース奏者の和田博巳さんに声をかけていただき、わたくし原田は司会進行役で出演しました。ついにSA-CD化された名演を、最高のオーディオで楽しむ気分は極楽のひとことにつきます。笑顔のお客さんの拍手を浴びながらの60分は文字通りあっという間でした。当日の模様については、人気コーナー「ハイレゾ一本釣り!」を担当する牧野良幸さんによるレポートもアップされますので、ぜひそちらもご覧いただけると幸いです。(レポートはこちら

イベントで取り上げられた(販売された)のはキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』、パット・メセニーの『ブライト・サイズ・ライフ』でしたが、もちろんこの3点だけがECMレーベルの魅力ではありません。今回はECMの配信アイテムの中から、ベーシストがリーダーの作品を選んでみました。オーナーのマンフレート・アイヒャーが元ベース奏者であること、ECMのベース音が基本的に暖かくふくよかで広がりがあること(スタンリー・カウエル『幻想組曲』のベース音には納得がいかないけれど)、この2点が理由です。

ECMは1969年、アイヒャーが26歳の時にドイツのミュンヘンで設立されました。活動初期にはマンフレート・チャフナーというエグゼクティヴ・プロデューサーもいました(彼への、おそらく日本初であろう取材は雑誌「ジャズ・パースペクティヴ」第8号に掲載されています)。アイヒャーはベルリン音楽院で学び、ECM設立の頃までジャズ界とクラシック界の双方でベース奏者として活動しました。数少ないインタビューをたどってみると10代の頃からジャズが大好きで(ピアノ奏者ポール・ブレイのファンだったそう)、64年に行なわれたアルバート・アイラー・カルテットの公演にも多大な衝撃を受けたとのことです。もちろんピエール・ブーレーズ、フランシス・プーランク、カールハインツ・シュトックハウゼン(彼の息子=マルクスは後年、ECMにレコーディングします)、クシシュトフ・ペンデレツキなどの現代音楽にも親しんでいて、「もっと深くコンテンポラリー・ミュージックに関わりたい。この音楽をドキュメントしたい」という思いが高まった結果、レコード会社設立に至ったようです。

考えに考えたレーベル名はEdition for Contemporary Music。エディションという言葉は、日本語に直すと“版”という感じでしょうか。“版”はそこで完成・終了せず、常に改定されていくものです。アイヒャーは、変わりゆくもののその時々を記録したかったのでしょう。しかしEdition for Contemporary Musicという名称はいかにも長すぎます。覚えてもらえないようでは、ビジネスになりません。そこで頭文字をとってECMにしようと思ったところで、夜も遅いのでいったん寝ます。アイヒャーはこうも語っています。「翌朝考え直しても(ECMという略称の印象が)良かったので、これで行こうと思った」。この“翌朝、振り返ってみる”という行為、重要です。ある意味、客観視できるからです。SNSというものが出る前、ラブレターというものが、今よりもはるかに“恋愛成就のためのステップのひとつ”として普及していました。好きな子のことを考えて考えて、煙が出そうなほど胸を焦がしながら熱を込めて書きまくるわけです。が、翌朝見てみると、昨日書いた手紙にほとばしっているパッションが、今日それを読んでいる自分にとってはこっ恥ずかしくて仕方がない。「こんなもの好きな子には見せられない」とばかりに、昨日のラブレターをゴミ箱に捨てた経験のある20世紀生まれのひとは何千何万といらっしゃることでしょう。

日本のレコード会社はECMの設立当初から好意的だったと思います。しかし最初は“一本釣り”でした。東芝音楽工業からはマリオン・ブラウン『ジョージア・フォーンの午後』、テイチクからはボボ・ステンソン『アンダーウェア』、ポリドールからはチック・コリア関連(『リターン・トゥ・フォーエヴァー』など)、日本ビクターからはキース・ジャレット『フェイシング・ユー』やマル・ウォルドロン『フリー・アット・ラスト』、ワーナー・ブラザーズ・パイオニアからはウォルフガング・ダウナー『アウトプット』やロビン・ケニヤッタ『ガール・フロム・マルティニーク』、CBSソニーからはサークル『パリ・コンサート』といった感じです。トリオ・レコードとのレーベル契約が実現したのは1973年のこと。以降、トリオは我が国におけるECMのブランド化に務めました。79年上旬には「ECMスーパー・ギター・フェスティバル」というコンサートも日本の大都市で行なわれています。登場したのはジョン・アバークロンビー・バンド、エグベルト・ジスモンチ(当時はギスモンティと表記されていた)&ナナ・ヴァスコンセロス、パット・メセニー・グループ! 当時24歳のメセニーは、ラリー・カールトンやリー・リトナーと並ぶ“クロスオーヴァー/フュージョン・ギターの貴公子”的存在でした。

ぼくがECMに興味を深めたのは70年代後半、レコード店に置かれていたトリオ・レコードの無料カタログを見てからです。トーマス・スタンコ、エンリコ・ラヴァ、テリエ・リピダル、アート・ランディ……みんな未知の名前でした。ですが逆にそれが自分の「知ってやろう、聴いてやろう」心に火をつけました。そしてベース奏者の作品が多いことに気づきました。エバーハルト・ウェーバー、デイヴ・ホランド、ゲイリー・ピーコック、バール・フィリップス、アリルド・アンデルセン(アーリル・アンダシェン)などなど。自分がすでに知っていたレイ・ブラウンやサム・ジョーンズやロン・カーターといったベーシストの名前とは違う「響き」がそこにありました。80年代に入るとさらに、チャーリー・ヘイデン、ミロスラフ・ヴィトウス、マーク・ジョンソンらもECMにリーダー・アルバムを残すようになります。ECMの特徴は、“関係が長続きする”アーティストがとても多いことです。ベーシストに限っても、ピーコック、アンダシェン、ジョンソンはECM終身名誉プレイヤー的な役割を担っており、ここで紹介する3作を聴いても、枯れることを知らない彼らの妙技とECM独特のサウンド・メイキング(マイクの立て方やミキシングにシークレットがあるのでしょう)の相性の良さには、唸らされるばかりです。そして、この音世界が実演で楽しめるか?というと、確率は非常に低いです。ぼくはアンダシェンがアルバム『Mira』と同じメンバーで演奏するのを代官山で聴きましたが、音色は極度にアンプリファイドされていて、“指で弦をかきむしっている”感じは満喫できませんでした。しかし『Mira』では、楽器本体の鳴り、指が弦に触れる音もしっかり捉えられており、オーディオ機器の調整によっては、目をつぶるとまるでそこにアンダシェンがあらわれてベースを弾いているような状況をつくりだすこともできると思います。

Azure

AzureGary Peacock, Marilyn Crispell

 

Mira

MiraArild Andersen, Tommy Smith, Paolo Vinaccia

 

Swept-Away

Swept AwayMarc Johnson, Eliane Elias

 

エバーハルト・ウェーバーの作品もぜひ探し出して聴いてほしいです。無名に近かった頃のビル・フリゼール(日本に紹介された当時はフリッセルと表記)や、シンガーズ・アンリミテッドのボニー・ハーマンが加わった『Fluid Rustle』も見事でしたが、入手が難しければ2015年リリースの『オマージュ』でも無論いいです。(編集部注:moraでは1990年から2007年に渡って記録したライヴ音源をまとめた編集盤『Résumé』が配信中)。ウェーバーはもともとジャズのウッド・ベース奏者でした。そしてECMにリーダー作を吹き込むようになった頃からエレクトリック・アップライト・ベース(チェロの胴体を削り取ったような形状の5弦楽器)を手にジャンル化不能の音楽をプレイするようになりました。ヤン・ガルバレクのバンドで来日経験もありますが、2007年に半身不随となり、ベース・プレイの再開が絶望的なまま今に至っています。『オマージュ』のタイトル・ナンバーは、映像として残されていたウェーバーの往年のベース・ソロを基に彼を敬愛するパット・メセニーが“再作曲”を試み、オーケストラでプレイされる形式です。日本でも2015年の「ブルーノート・ジャズ・フェスティバル」で(メセニーを含む現役ミュージシャンたちと、ウェーバーの映像との“共演”という形で)演奏された曲です。日本初演にとりかかる前、横浜赤レンガ倉庫横の特設会場を埋め尽くした超満員の観客に向かってメセニーは「エバーハルト・ウェーバーを知ってますか?」と問いかけました。その反応は決して芳しいものではありませんでしたが、終演後に巻き起こった万雷の拍手のうちの何割かは、確実に画面の中のウェーバーにも送られていたと、ぼくは願ってやみません。

ECMは今年で創立48年を迎えます。ほぼ同じ頃やはりドイツでスタートしたMPSENJAの創立者はすでに亡くなりました。「同じオーナーで45年以上も活動を続けているジャズ系レーベル」はほかにデンマークのスティープルチェイス(72年、ニルス・ウィンターが設立)があるくらいだと思います。1994年には発足25周年を祝い、「新宿ルミネホールACT」(確か今のフラッグスビルの最上階だった)に当時のECMを代表するアーティストが集まって月例コンサートを開きました。さて50周年はどう盛り上がるのか? 日本のECM好きのひとりとして、今から胸騒ぎがしています。

 


 

■執筆者プロフィール

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原田和典(はらだ・かずのり)

ジャズ誌編集長を経て、現在は音楽、映画、演芸など様々なエンタテインメントに関する話題やインタビューを新聞、雑誌、CDライナーノーツ、ウェブ他に執筆。ライナーノーツへの寄稿は1000点を超える。著書は『世界最高のジャズ』『清志郎を聴こうぜ!』『猫ジャケ』他多数、共著に『アイドル楽曲ディスクガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』等。ミュージック・ペンクラブ(旧・音楽執筆者協議会)実行委員。ブログ(http://kazzharada.exblog.jp/)に近況を掲載。Twitterアカウントは@KazzHarada