牧野良幸のハイレゾ一本釣り! 第29回

第29回: グレン・グールド『ブラームス:間奏曲集』

〜若きグールドによる「静かにたたずんでいる音楽」〜

 

makino-gould 

 

 どんな音楽が求められるかは時代によってさまざまだ。僕らの世代だと反体制的なロックとか、ひたすら自己チューのプログレに惹かれたものである。最近は連帯感を高めたり、応援歌のような音楽が人気のようだ。それもまた時代のニーズであろう。いずれにしても音楽に何らかの刺激を求めるわけである。

 けれども時には「静かにたたずんでいる音楽」もあってもいいと思う。そこでグレン・グールドの『ブラームス:間奏曲集』である。これは若い人にもぜひ聴いてほしいアルバムだ。知っておいて決して損ではない。

 

 1曲目の「間奏曲変ホ長調 作品117-1」、子守唄のような旋律が流れる。しかし音楽のほうから何かを仕掛けてくることはない。まるで日曜日の芝生に寝転がって、うれしいことも悲しいことも全部白光の中に消えていく感じだ。

 このアルバムは1960年に録音されたものである。この時グールドはまだ28歳。老ブラームスが晩年にたどり着いた諦観を、若干28歳の若者がつむぎ出していることに驚く。若くして鬼才ぶりを発揮していたグールドだから、この“老け演奏”も決して不思議ではない。しかしこれはやはりグールドの天才のなせるワザだろう。

というのも、ある巨匠ピアニストが弾いた間奏曲も聴いたことがあるけれども、僕にはグールドほど超越した演奏に感じなかったのだ。もちろんその巨匠の演奏も素晴らしいのだろうけれど、グールドのように音楽を越えた特別な時間に変貌してしまうことはなかった。

 

 このアルバムは選曲もグールドによるものである。ブラームスが晩年に作曲したいくつかのピアノ曲集の中から「間奏曲(インテルメッツォ)」だけを抜き出して、グールド流に並べたものだ。

 この選曲も“神懸かり的”で、1曲目に「作品117-1」を置き、最後に「作品118-2」で終わる構成は、まぎれもなく完璧な曲集になっている。普通なら作曲家への冒涜とも取られかねないグールドの再構成であるが、作曲をしたブラームスでさえこの並び方を喜ぶのではないか。

 この『ブラームス:間奏曲集』は長年にわたってクラシック愛好家が大切にしてきたアルバムだと思う。だから「癒しアルバム」として一般に広まるよりは、好きな人が人生を見つめ直す時にそっと聴かれることを望んでしまう。レコード会社はそれでは困るだろうが。

 

 グレン・グールドのアルバムの多くは今年ハイレゾ配信が始まった。『ブラームス:間奏曲集』もハイレゾでリリースされている。昔はヘッドフォンでCDをしんみりと聴いていたが(それもよかった)、今は音量を出せる部屋があるので、ハイレゾはそれなりの音量で聴いた。

 1960年の録音ゆえ、音量を上げると若干のヒスノイズを帯びるが気になるレベルではない。それよりもグールドのイスのきしみ音(?)が耳に届くほど、繊細な聴き方ができるようになった。グールドの出すノイズはバッハではおなじみだったけれど、静謐でロマンチックなブラームスの演奏中でもあったのだ、と初めて知った。時にシリアスに聴いている僕にたいして、グールドが「私はいつもこうさ」と微笑んでいるかのようだ。

 もちろん現代録音ではないので、ハイレゾになっても時代を伝える音質である。でもステレオ初期なのにステレオ感は自然だし、そもそもグールドの演奏を聴くという観点ならば“優秀録音”であった。むしろハイレゾでオリジナルの雰囲気が壊れていなかったことが喜ばしい。誰もこのアルバムを、グールドが晩年にしたデジタル録音で聴きたいとは思わないはずだ。『ブラームス:間奏曲集』は音質も含めて一期一会のアルバムだと思う。

 

Glenn Gould

『Brahms: 10 Intermezzi for Piano』

グレン・グールド ハイレゾ配信一覧はこちら

 


 

牧野 良幸 プロフィール

1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

マッキーjp:牧野良幸公式サイト