牧野良幸のハイレゾ一本釣り! 第35回

第35回: エマーソン、レイク&パーマー『トリロジー』

〜キース・エマーソンとグレッグ・レイクを追悼して〜

 

makino-elp

 

 2016年を振り返ると、ロック・オヤジを哀しませた訃報が多かった。なかでも3月のキース・エマーソン、12月のグレッグ・レイクの死去には言葉もない。エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)という、70年代初頭に僕らを大興奮させてくれたトリオの二人が、一気に逝ってしまったのだ。

 当時中学生だった僕がプログレッシヴ・ロックを初めて知ったのは、EL&Pの『展覧会の絵』だった。二つ歳上の兄貴がこのアルバムの中の「〈ナット・ロッカー〉が凄いみたいだ!」と騒いでいたからだ。

 のちに級友からLPを借りて聴いてみると、「ナット・ロッカー」はアルバムの最後に収められたアンコール曲にすぎなかった。「何だよ、兄貴」と思ったが、確かに「ナット・ロッカー」はキャッチーだった。シングルを中心に聴いていたロック初心者には有効だったのだ。いくらあの時代だからと言って、中学生がいきなりプログレを聴けたわけではない。何かのキッカケが必要なのだ。

 

 EL&Pの場合、そのキッカケが強烈だったのである。これはNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」だったと思うが、彼らのライヴ演奏がテレビで放送された。当時は洋楽アーティストの動いている姿など見ることができなかった時代なので、それだけでも驚きなのに、ブラウン管の中では、なんとキース・エマーソンがハモンド・オルガンにナイフまで刺してしまうのだ!

 このパフォーマンスをお茶の間で見た時こそ、僕がプログレに心を奪われた瞬間と言っていい。あのナイフは“プログレのナイフ”として、僕の胸に突き刺さったのである。

 その後、高校生でピアノを習いだすとキース・エマーソンは増々アイドルになった。EL&Pが解散したあとデジタル・シンセの時代になってもそれは変わらない。僕だけではない。世界中のキーボード愛好家やDTM愛好家たちにとってキース・エマーソンはアイドルだった。いや神になったと言ってもいいと思う。

 

 そんなエマーソンの死だけでも悲しいのに、まさかグレッグ・レイクまで今年鬼籍に入るとは思わなかった。EとPが突如いなくなってしまったわけだ。EL&Pはもはやこの世に存在しない。

 

 それでもEL&Pは生き続けるはずだ。なぜなら2016年現在、全盛期の主要なアルバムがハイレゾで揃っているからである。彼らのアルバムを高音質で聴ける。その贅沢さは70年代の比ではない。今回聴いてみるのは『トリロジー』である。

  『トリロジー』は『展覧会の絵』と『恐怖の頭脳改革』にはさまれて、個人的には印象が薄いアルバムだ。発表された1972年はビートルズに夢中になっていたのと、ピンク・フロイドやイエスといった他のプログレ・バンドに目が移ったせいもあって、記憶に残らなかったのかもしれない。しかし今日『トリロジー』も捨てておけないアルバムだ。

 さっそくハイレゾを聴いてみると、まずクリアな音に驚かされる。アナログ・レコードで聴くよりも、格段に磨きのかかった空間だ。これまで無意識下にせよ「プログレ=アナログ」という不文律があったのだが、ハイレゾでは空間が“無菌状態”になった分、演奏の壮絶さがより際立つ気がする。EL&Pならではの細かい刻みが鮮烈である。

 あとハイレゾでは、アコースティック・ピアノやアコースティック・ギターの美しさにも息を呑むことだろう。たとえば「フーガ」の澄みきったピアノの音色を聴いて、「やっぱりキース・エマーソンという人はクラシック音楽の素養が大きいなあ」と思ってしまった。

 

 グレッグ・レイクのアコースティック・ギターは、EL&Pのアルバム中で清涼飲料水のような安らぎをもたらすが、こちらも「フロム・ザ・ビギニング」などでナマナマしく聞ける。ダンディーなヴォーカルもやっぱり魅力的だ。二人が逝ってしまっただけに、ハイレゾの音が余計に胸に沁みるのである。

 

 

トリロジー
(2015 オリジナル・ミックス・リマスタード)

FLAC|96.0kHz/24bit

 

 


 

牧野 良幸 プロフィール

1958年 愛知県岡崎市生まれ。
1980関西大学社会学部卒業。
大学卒業後、81年に上京。銅版画、石版画の制作と平行して、イラストレーション、レコード・ジャケット、絵本の仕事をおこなっている。
近年は音楽エッセイを雑誌に連載するようになり、今までの音楽遍歴を綴った『僕の音盤青春記1971-1976』『同1977-1981』『オーディオ小僧の食いのこし』などを出版している。
2015年5月には『僕のビートルズ音盤青春記 Part1 1962-1975』を上梓。

マッキーjp:牧野良幸公式サイト