ジャズ・スタンダードをヴァイオリンで奏でるということ。デビュー30周年を迎えるジャズ・ヴァイオリニスト、寺井尚子インタビュー

今年デビュー30周年を迎えるジャズ・ヴァイオリニスト、寺井尚子がニューアルバム『The Standard』を完成させた。今年2017年は世界初のジャズレコードが発売されて100周年の節目ということもあり、スタンダードと言われる楽曲を中心に寺井流のリアレンジを加えた音源全13曲が収録されたアルバムとなっている。今年はすでにアルバム『Piazzollamor』を3月にリリースしている寺井。インターバルのない中での制作はライヴ感を重視した非常に集中力を擁するものであったそう。寺井自身が全幅の信頼を置く手練れのプレイヤーたちとのスリリングな駆け引き、またその空気感を完璧に封じ込めるエンジニアの手さばきまで、自信作であることが強く伝わってくるインタビューになった。ハイレゾ音源としての最高スペックDSD 11.2MHz/1bitでも配信されている本作。ぜひインタビューを読みながら、ハイレゾ環境で楽しんでほしい。
インタビュアー:牧野由幸/文・構成:mora
寺井尚子『The Standard』
ジャズ・ヴァイオリンの女王、唯一無二の存在として輝き続ける寺井尚子が2018年デビュー30周年を迎える。Anniversary Year 企画第1弾として発表するのはファン待望のスタンダード・アルバム。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「ナイト・アンド・デイ」「枯葉」をはじめ、時代を超えて愛され続けるナンバーばかりを収録。ジャズ・ファンのみならず、音楽を愛する大人に聴いて欲しい決定盤登場。
制作、アレンジについて
――今回の『The Standard』は寺井さんご自身のデビュー30周年と、世界初のジャズのレコードが録音されて100年ということを記念して、ジャズのスタンダードに焦点を当てたアルバムということなんですが。
100年ってすごい時間ですけど、たった100年かという気もします。その100年の間に数えきれないほどの名曲、名演が生まれ、偉大なジャズメンによって今に受け継がれ、スタンダードとして存在しているわけですね。その偉大な、ジャズの歴史を作ってきたジャズメンに敬意を表しつつ、これからの100年に届けたいという思いで、この記念の年にはスタンダードでアルバムを作るしかないと。
――スタンダードだからこその大変さ、というのもあったかと思いますが。
そうなんですよ。すでに名演と言われるものがあるがゆえの苦しみというのが……。そうなるとやはりアレンジというものが非常に大事になってきます。なぜ名演と呼ばれるのかというと、そこにはプレイヤーのクオリティの高さもありますが、やはりアレンジの素晴らしさも必要になってきますので、「今の時代の薫りがするスタンダード集」というのを届けたかったんです。この「今の時代の薫りがする」というのは、いつも私のアルバムのコンセプトとしてあります。スタンダードのように、受け継がれてきたものを演奏するとなると、なおさらそうですね。
――なるほど。
時代の変化とともにジャズのスタイルも変わってきたわけですが、本当に今の時代って100年間で一番変わったというか、想像もつかないような時代になってると思うんです。聴き手のほうも音楽の楽しみ方が随分変わってきたということもあって。だからそういったことも含めて、「今の時代の薫りがする」っていうことを強く思いを込めて作りました。
――アレンジはピアニストとしても参加している北島直樹さんですね。
そうです。アレンジャーとしても素晴らしい才能を持っているということは知っていたので、いつかアルバムという形で彼の才能が花開くといいなあと思っていました。そうしたところに今回の話になり。もうピタっと。
――素人的にはビッグバンドのアレンジはイメージしやすいんですけど、コンボ(小編成のバンド)のアレンジというのはどういったものなのか、ピンとこないところがちょっとあります。
ああ、でもそれは同じですよ。ビッグバンドだと十何人の弾くフレーズが全部書いてあるということなんですけど、結局元はコードが振ってあるわけです。そのコードを選ぶのもアレンジャーの仕事だし、あとはイントロやエンディングが付くでしょう。テンポや、どこでソロを弾くのか、これはどういう人がソロを取るのかということも……。
――それもアレンジで決めるわけですね。
そうです。だからまったくビッグバンドと同じような形ですね。
――「ここからソロが始まって~」とか、そういったところもスコアに書かれているんですね。
もちろん。テーマ(主旋律)のあと、ソロになるとコードを変えたりとか。テーマ通りにとるソロもあれば、8小節ぐらいの短いコードの中で回すソロもあるし。そういった選択もセンスになるんですね。
――「枯葉」は、2010年の『マイ・ソング』の中にも収録されていて、その時はゆったりとしたシャンソン風のアレンジでしたが、今回はテンポの早いアレンジになっていますね。
全体のうち7曲くらいは私がこういう風にしてほしいってリクエストして、その他の6曲は、彼(北島)から上がってきたままです。「枯葉」は前者で、だから「イントロはピアノで始まって~」とか、そういったお願いはした感じです。
――確かに「ナーディス」などは、始まり方がクラシックというか幻想的な感じですし。アレンジ次第で聴きなれたスタンダードも印象が変わりますね。どうしてもコンボ・ジャズというと、テーマ、アドリブ、またテーマ……と単純なアレンジを思い浮かべてしまって。
ああ、それは古いジャズだとそういうのはありますね。60年代くらいだと……でもそれでは今の時代は無理ですね(笑) 無理というか、難しい。
レコーディングについて
――今回のアルバムはサックスの川嶋哲郎さんが参加しているのも特色ですね。
そうですね。2001年以降、管楽器は入れてなかったのかな。けれど彼とは本当に修業時代からの長い知り合いで。いつかきちっとした形で、アルバムに参加してほしいなって思っていたんですよね。お互い文科省の学校公演の仕事をしているものですから、年に一ヶ月くらいは一緒にいる時間があるんですよ。それで今回のアルバムに入ってもらえないかなって、この前の学校公演の時に思って。それでお願いしました。
――確かに途中でサックスが出てくると……
ドキっとするでしょ?
――はい。ずっとヴァイオリンの世界観で音楽が続いていますでしょう、そこにサックスがフッと出てくる。あの曲……
「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」ですね。
――そうです。テナー・サックスがかなりアクセントになっている感じがして。音色もヴァイオリンと相性がいい感じがしました。
そうですね。私のヴァイオリンの音色はよく「サックスっぽい」と言われることがあります。私自身もリッチで豊かな音が好きなので、中低域を好んで弾くところはありますね。
――ユニゾンになっているところは、サックスが下に流れていると、ヴァイオリンも弾きやすそうだなと、思ったりしました。
サックスなら誰でもそうなるわけじゃないんですよ。彼の音楽性の高さと、二人の相性のよさとあって……。彼は「歌う」ことができるんですよ。テクニックはもちろん素晴らしいんだけど、それにプラスアルファで、歌い回しとか、抒情的というか、すごく音楽性の高いところを出すことができたかなと。
――「ソウル・アイズ」などを聴いていても、かなり濃厚なバラード演奏で。まるでコルトレーンとやってるように錯覚しちゃうくらいでした。
そうでしょう。彼は自分の音を持っている数少ないミュージシャンですね。
――でも、寺井さんのヴァイオリンも相当歌っていると強く感じました。どんなに早いフレーズでも一音一音にパッションが宿っているというか。
ヴァイオリンって、エッジを利かせるのがけっこう難しい楽器なんですね。ピアノだとドとド#の間の音ってないじゃないですか。でもヴァイオリンだと弓で弾くから、音がつながっちゃうんですよ。でもそれは長年の――来年でデビュー30年らしいんですけど(笑)
――なかで、奏法を自分なりに見つけて。
――なるほど。
あと、ジャズってキーも音域も選べるわけですよ。そこは弾き手や、アレンジにおける部分になるわけです。あえてその演奏が生きるキーにすることもありますね。
――ある曲のアドリブで、最初は下の音域から始めて、盛り上がるにつれて少しずつ上の音域に上がっていくようにされているところもありましたが、それもアレンジなのでしょうか。
それは無意識でやっちゃってるところも大きいですけどね。何を弾いたかっていうのはあまり覚えてなくて……。「目指せテイク1」なんですよ。いつも100時間くらいのリハをやり、レコーディングでは披露するだけなんですね。スタジオで「ここをどうしよう、ああしよう」ってことはなくて、すごい緊張感の中で、ろくに口も利かずに淡々と録っていくっていうスタイルを1998年からずっとしています。
――なるほど。
とくに今年は『Piazzollamor』をリリースして、そのあとの6ヶ月という期間でしたので、いっそうの緊張感でした。3日に分けて4曲ずつ録っていこうと言っていたんですけど……1日目に7曲録れちゃって、それって普通ありえないんですけど(笑)。まあ順調にいきました。
――それって、すごい集中力ですよね。
ええ。だからみんなもう、フラフラになってます(笑)
――全員で一緒にどん!とやるわけですか。
そうです、ライブと一緒です。お客さんがいないだけ。後からいくらでも編集できる今の時代に珍しいスタイルで(笑)。大変アナログなんですけど、そこをすごく大事にしています。
――それはリスナーとしてもすごく嬉しいです。
だからすごいライブ感があると思うんです。「必要以上のことは直さない」というのが鉄則です。どうして「テイク1」にこだわるかというと、やっぱり新鮮さですね。1回やって「あそこは上手くいかなかったな」と思うと、次に人間はそこを上手くやろうとするんですよ。頭で音楽を考え出したら、新鮮さが全くなくなってしまいます。確かにその部分だけを聴けば上手くいってるのかもしれないけれど、全体のトーンが落ちるんですよね。ということもあり、できるだけ1回にしましょうね、っていう。
――そうはいっても、なかなか実際にできることじゃないと思いますが。
強く思っていないとできないですから、そこは決めてかかります。でも、どうしてできるかというと、それはずっと一緒にやってきたレギュラーメンバーだからですね。
――普段一緒にやってらっしゃるから。
うちは長いんですよ、組むと。今回のメンバーももう3年くらいになるかな。北島さんは2002年から10年間バンドを一緒にやっていた人で。その間にメンバーチェンジして、また組んだわけですけれども。レギュラーメンバーならでは、という分厚いサウンドを求めた結果ですね。
楽曲について
――『The Standard』で寺井さんから聴いてほしい、またはオススメの曲などはありますでしょうか? ここが聴きどころとか。
そういうことでいうと、アルバム全体のストーリー性を聴いてほしいですね。
――確かにアルバムは曲の並び方で全然感じが変わってきますものね。
収録曲の順番は、録る時からもう決まっていました。ただ「あっ、やっぱりこっちのほうがいいね!」とか、そういうことはありましたけど……そもそも13曲に絞るということも大変で……スタンダードって数えきれないすばらしい曲がありますから。
――個人的にはミシェル・ルグラン作曲の「これからの人生」で、寺井さんの奏でる長いフレーズが、聴き応えがすごくありました。
うれしいなあ。バラードは大好きなんですよ。私は1988年にプロデビューしたあと、1998年にCDデビューをしましたから、修業時代が10年あったんですね。「これからの人生」は、その時代に大切に弾いてた曲で、まだアルバムにも入れたことがなくて。今回はスタンダードを集めたアルバムだからぜひ入れたいと思いました。
――映画音楽特有の切なさを感じました。それがとても迫ってきて。逆に、ビバップの曲になっても、寺井さんのヴァイオリンの音はすごく映えます。
そこが私の入り口ですからね。
――そうなんですね。ビバップはそれ以前のスウィングと演奏形式もだいぶ違いますか。
違いますね。スウィングジャズというのは思わず踊り出したくなるような、ビッグバンドで、ダンスホールの音楽なんですよね。1920年代くらいにニューヨークですごく流行ってて。で、ダンスと一緒にやってたビッグバンドの人たちが、仕事が終わってからライブハウスに集まって、もっと自分たちの演奏を聴かせる音楽をやりたいって言って、それで1940年代くらいに生まれたのがビバップだから。編成もコンボになって……。それが現代のジャズの基本になっているわけですけど、私の入り口もそこなんですよね。
――なるほど。ちなみにジャズ・ヴァイオリニストのステファン・グラッペリは、スウィングの人になるのでしょうか。
うーん、どうだろう。わりとスウィングが好きですよね、ジャンゴ・ラインハルトのギターとの共演を聴くと。ヴァイオリンの場合、ドラムが入るか入らないかが大きいんですよ。
――そうなんですか。
ヴァイオリンのバンドにドラムを入れるのは、私の前には、ほとんどなかったことだし。私はもう最初からドラムと当っていたから音作りが大変で……。太い音を出したい出したいと思ってマイクロフォンをいろいろ試したり、自分でもPAをいじれるようになってしまったり(笑)、いろいろ試行錯誤して、やっと思うような音が出るようになりました。
――なるほど。他に聴きどころがありましたら。
「イエスタデイズ」での金子健さんのベースも聴きどころですね。
ハイレゾについて
――最後にハイレゾのことも伺いたいと思います。寺井さんはハイレゾについては?
聴き比べたことはあって、その時は確かによかったという記憶があるんですけど。でもCDにしてもハイレゾにしても、そもそもはエンジニアが録っているわけです。だから音質もエンジニアの力量によるというか。いくらハイレゾでも、元の生音を録るという作業が良くなければ、と思います。それで言うと、うちのエンジニアのこだわりといったら、ものすごいですから。
――今作のエンジニアは鈴木智雄さんですね。
レコーディングは2002年から鈴木さんにずっとお任せしていて。もう、すごく信頼しています。お互い一年に一度会うくらいだけど、レコーディングが終わると課題がどさっと降りてきて、それを克服して1年後に「また会えたね」って。その間は全然連絡も取らないし、会わない。お互いに勝手にやってくるわけ。そういう関係性なんですよ。
――鈴木さんはどういうところに、こだわられるんでしょう。マイクの位置であったり?
マイクの位置もそうだし、もうケーブル一本から。でもそういう人は、結局すごくシンプルなんですよね。あちこち色々やらないんです。「空間の音を録る」っていうか、音の行く方向をよく知っていて、そこにちゃんとマイクを置いて。何しろ基本の音が素晴らしいですから、ハイレゾでもすごいと思いますよ。
――ヴァイオリンというものが、そもそもすごく豊かな音色のする楽器ですよね。ご自身で弾かれていて、演奏している時の音と、録音された音というのは違うものですか?
うーん、もう2002年からずっと鈴木さんと一緒に作ってきているので、もう私のCDから出る音はこの音、ってなっているから。あんまり生音と比べたことはないんですけど……。ただ実にヴァイオリンの生々しさとか、そういったものを再現できているなと思います。
――エンジニアによって、そんなに音が違うものなんですか。
全然違いますね。普通はこういう音にならないですよ。ぜひ聴いてみてください。
――本日はありがとうございました。
寺井尚子 プロフィール
4歳よりヴァイオリンを始め、 1988年、ジャズ・バイオリニストとしてプロ・デビュー。
来日中だったジャズ・ピアニスト、ケニー・バロン氏との共演をきっかけに、ニューヨークでのレコーディ ングに参加し、一躍注目を集める(1997年)。その後も独自性あふれる表現力ゆたかな演奏スタイル で人気の高いコンサートを中心に、テレビ、ラジオ、CMなど、幅広く音楽活動を展開している。
最新作『リベルタンゴ・イン・トーキョー』をはじめ、年1作のペースで発表しているアルバムは、 いずれもジャズ・アルバムとして異例のセールスを記録。繊細な表現力と情熱的な演奏にますます磨きがかかる、世界を舞台に活躍するジャズ・ヴァイオリニストである。
「平成21年度 文化庁芸術選奨 文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)《受賞(2010年)をはじめ、 日本ゴールドディスク大賞ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー<邦楽>(2004年)、南里文雄賞(2008年)、 南里文雄賞(2008年)、ジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>(2005年)等、受賞暦多数。
また、8代目キャラクターとして「金鳥の渦巻《CMに出演(2004年~2009年、2010年より音楽にて参加)、 「F1日本グランプリ《決勝での「君が代《の演奏(2003年)、レギュラー番組でのパーソナリティー (BS-TBS「Cinemagic Café シネマジックカフェ《)など、活動のフィールドをさらに広げている。