〈mora presents special talk session〉 ~ジャズ喫茶「いーぐる」オーナー 後藤雅洋×ジャズ・ピアニスト 桑原あい~

ジャズ100周年を記念したmoraジャズキャンペーンの1つとして、特別対談が実現した。今年50周年を迎える四谷のジャズ喫茶「いーぐる」で、10月2日に開催された “mora presents Special talk session”がそれだ。

出演者は「いーぐる」店主の後藤雅洋さん、そして今最も注目を集める若手ジャズ・ピアニストの桑原あいさん。第1部では事前に選んでいただいたジャズ・ピアニストの名盤をハイレゾで聴きながら、おススメポイントや魅力などを語り合い、第2部では11月8日にmoraでハイレゾ配信になる、桑原あい×石若駿『ディア・ファミリー』の世界最速ハイレゾ試聴が行なわれた。

ジャズをこよなく愛するふたりによる、世代を超えたトークの模様をお伝えしたい。

司会進行・文:原田和典

 


 

 

 

――本日はよろしくお願いいたします。ではまず、後藤さんご推薦のキース・ジャレット『スタンダーズvol.1』から聴いていきたいと思います。

後藤雅洋 キースの『スタンダーズvol.1』は1983年に発表されました。スタンダード・ナンバーの演奏は50年代にはごく普通にあって、レッド・ガーランドであるとか、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリーなどが当たり前に取り組んでいました。それに対して80年代の初めごろから、ちょっとレトロな風潮で、ケニー・ドリューが日本のプロデューサーの仕掛けで、やたらめったらスタンダードを演奏させられるという時代がありました。僕はケニー・ドリュー自体は大好きなんですけど、当時連発されたスタンダードの演奏というのは、言っちゃいけないかもしれないけど、マニアの人からは若干、「いい加減にしろ」みたいなところがあったと思いますよ。そういうさなかに、コアなジャズを演奏するミュージシャンであるキースがスタンダードを演奏するという話をきいたとき、みんな「ハテナ」と思ったんですよ。「キースも俗受け狙いに行くのか」という感じもありました。でも『vol.1』を新譜で買って聴いたら、びっくりしました。たしかにスタンダードには違いないんですけど、聴き慣れた音楽を弾いてとりあえず受けを狙うんじゃなくて、スタンダードという入れ物を利用してミュージシャンとして主張するというのかな。これが本来のスタンダード解釈の在り方ですよね。スタンダードはみんな知ってる曲だから、どんな演奏をするかで、その人の力量がはっきりよくわかる。逆にいうと、ものすごく怖いんです。それにまさにキースがいまさらながら挑戦して、どんな答えが出るかと思ったら、彼はさすがだった。そういう意味ではキースはやっぱりすごい人だと思いました。非常に印象的なアルバムです。「ミーニング・オブ・ザ・ブルース」をお願いします。

 

Standards (Vol. 1)/Keith Jarrett, Gary Peacock, Jack DeJohnette

「ミーニング・オブ・ザ・ブルース」
(『スタンダーズvol.1』収録)

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――桑原さん、じっと演奏に聴き入っていらっしゃいましたが。

桑原あい こういう演奏を聴くと、ピアノをやめたくなりますよ……。私も『スタンダーズ』はすごい聴きました。『vol.1』も『vol.2』もすごい聴いて。

後藤 両方いいですよね。

桑原 はい。でも『vol.2』のほうは(ゲイリー・)ピーコックのベースの音がちょっと変わってるんですよ。

後藤 そうですか、気が付かなかった。どんなふうに?

桑原 ウッド・ベースらしくないんです。ちょっとフレットレス・エレクリック・ベースみたいなニュアンスがあります。

後藤 さすがミュージシャンですね。僕は全然、気が付かなかった。もう1回『vol.2』も聴いてみます。

 

――次は桑原さんご推薦のハービー・ハンコック『テイキン・オフ』です。どの曲にしますか?

桑原 「ウォーターメロン・マン」でお願いします。

後藤 このアルバムも、ものすごくリクエストが多かった。「いーぐる」は1967年に開店したので、『テイキン・オフ』は新譜ではなかったんですけど、開店当初からリクエストがすごくありました。

桑原 かっこいいですよね。私はビリー・ヒギンズのドラムが好きです。音楽の推進力の持っていき方がすごいんですよ。

後藤 煽りまくるというかね。

桑原 それがいちばん際立っているのは『テイキン・オフ』かなと思っています。私はハービーが大好きで、どの音源を選ぼうかメチャクチャ迷ったんですよ。最近の『リヴァー』とか、『処女航海』とか、本当に悩んだんですけど、原点に戻った時にハービーは『テイキン・オフ』が一番かっこいいんじゃないかと思って、このアルバムにしました。

後藤 なるほどね。

 

Takin' Off/Herbie Hancock

「ウォーターメロン・マン」
(『テイキン・オフ』収録)

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後藤 いい演奏ですよ。それは今も変わらない。ところで桑原さんにひとつ質問があるんですけど、ピアノ・トリオみたいなフォーマットで演奏するのと、こういうふうに管楽器奏者を入れているのと、どっちが好きですか?

桑原 両方好きですし、管楽器やヴォーカルと一緒の時にバッキングすることの楽しさは、ありますよね。音楽って結局、会話だと思うんです。それがピアノ・トリオだと、バンド形式としては割と最小限。ピアノ・トリオのときのほうが、たとえば自分のカラーだったり、キャラクターとかは確かに出しやすいかもしれない。そういう理由で自分の作品はトリオとかが多いんですけど、やっぱり管の人と演奏すると「ジャズってこうだよな」って思う瞬間が多かったりはします。

後藤 なるほどね。たとえばね、後ろにいて、フロントの連中を躍らすというのかな、そういう面白さもあるでしょう。

桑原 そういうバッキングができた時は最高です。リズム隊がみんな、ずっとニヤニヤしている状態ですね。

後藤 実際、僕らにとっても、そういうときがジャズを聴いてる醍醐味だというのはありますよ。

 

――続いては後藤さんご推薦のエリック・ドルフィー『アット・ザ・ファイヴ・スポットvol.1』から、「ファイアー・ワルツ」です。

後藤 なんでこれを選んだかというと、昔の録音に対するハイレゾの対応はどうなのかということと、あとはライヴ音源ということですよね。

――ドルフィーは桑原さんが生まれる遥か前に亡くなった伝説のミュージシャンです。

桑原 凄すぎですよね、私は『ラスト・デイト』が大好きです。

後藤 ミシャ・メンゲルベルクのド変態ピアノが入っていてね。

桑原 『ファイヴ・スポット』は久しぶりに聴きますね。

――個人的には「ファイアー・ワルツ」の、演奏にとりかかる前のザワザワした感じが好きですね。ぼくは最初にアナログ盤でこれをきいたのですが、なかなか演奏が始まらない。そのあたりがハイレゾでどう再生されるのかも気になります。

 

At the Five Spot, Vol. 1 (Rudy Van Gelder Remaster) (feat. Booker Little, Mal Waldron, Richard Davis, Ed Blackwell)/Eric Dolphy

「ファイアー・ワルツ」
(『アット・ザ・ファイヴ・スポットvol.1』収録)

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――「ファイアー・ワルツ」でした。先ほどの「ウォーターメロン・マン」と同じく、録音エンジニアはルディ・ヴァン・ゲルダーです。

後藤 よく“ヴァン・ゲルダー・サウンド”っていいますけど、早い話がブルーノートのサウンドとインパルスのサウンドって同じルディ・ヴァン・ゲルダーでも全然違うじゃないですか。つまり彼はプロなんですよ。アルフレッド・ライオンやボブ・シールといったプロデューサーの指示に応じて、違うサウンドにすることができる。音の厚みは共通しているけれどね。ものすごく個性的だけど、ものすごくいい音かというとそういうものでもない。完全にハイが落ちちゃって、ピアノの音はグッチョングッチョンだよね。

この演奏をなんでハイレゾで聴きたかったのかというと、桑原さんのように演奏なさってる方も多分そうだと思うんですけど、楽器の音色ってすごい大事だと思うんですよ。ジャズファンというのはフレーズも聴くけれど、それ以上に音色を聴いているというところがあります。僕はエリック・ドルフィーがものすごく好きで、アルトの音色がコシがあって艶があるというのかな、単に音色がブライトなだけの人はいるし、コシがあるけど艶はないという人もいて、両方兼ね備えるというのは本当に難しいんだけど、ドルフィーは兼ね備えている。それで変なフレーズを吹かれると、聴いているだけでしびれます。今回ハイレゾで聴いて、生々しいというか、現場で聴いているみたいな錯覚に陥りました。

ところで桑原さん、このマル・ウォルドロンのとぐろを巻くようなピアノはどうですか?

桑原 いいんじゃないですか。あれは、できないですよ(笑)。でもそれってすごいことなんです。

後藤 よっぽど根性決めないと、あそこまで同じフレーズはできないよね。

桑原 「あっ、この人だ」ってわかるじゃないですか、ちょっと聴いただけで。それはジャズ・ミュージシャンだからこそできることだし、私も欲しいです、そういう「自分ならではのスタイル」が。それをずっと探してます。

 

――次は桑原さんご推薦のホレス・シルヴァーの『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』からです。曲はどれにしますか?

桑原 「ピース」をお願いします。

――このアルバムでは、ノリノリな「シスター・セイディ」が昔からの人気曲だった記憶があります。でも最近はバラードの「ピース」の評価が高まっていて、ノラ・ジョーンズなどいろんなミュージシャンがとりあげていますね。

桑原 ほんとうの名曲だと思います。ブルー・ミッチェルのトランペットもすごくいいんです。

 

Blowin' The Blues Away/Horace Silver

「ピース」
(『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』収録)

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桑原 さっきホレスと言えば「イケイケな」と言っていたじゃないですか、私にもそういうイメージがあります。バラードでもファンキー節が出ちゃってるホレスのプレイが好きなんです。バラードになりきれなかったみたいな、そこはやっぱり人柄だったんだろうなって私は思っています。あとこの曲で好きなのは、ブルー・ミッチェルのトランペット。「パッパッパー」というところの、最初の2音がめっちゃ元気なんですよね。バラードだとは思えないんですよ、その2音を聴くと。今のトランペット・プレイヤーだと、優し目に吹いたり、もっと情緒的に吹くと思うんですよ。ファンキーさを隠し切れないメンバーたちのキャラクターがすごく好きですね。

――大ヒットした『ソング・フォー・マイ・ファーザー』とは、また違う魅力があります。

後藤 ジャズ喫茶を始めたばかりの頃は、リクエストは圧倒的に『ソング・フォー・マイ・ファーザー』のほうが多かったんですけど、なんだかんだよく聴いたのは『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』ですよ。アルバムとしての完成度やチームのまとまりはこちらのほうが優れていると思いますね。シルヴァーがほかのバンドにサイドメンで入っているアルバムもあるけれど、サイドで弾いても、黒いんですよ。それがたまらなく好きでね、ガンガン煽りまくるところもかっこいいけど、それだけがホレス・シルヴァーの魅力じゃないんですよね。

 

――次は録音年代が50年ほど新しくなって、現代のスター、ダイアナ・クラールの登場です。後藤さんご推薦の『ウォールフラワー』から聴いていただきます。

後藤 ダイアナ・クラールがデビューした頃は、正直言って一世代前のジャズ・ヴォーカリストに比べると色が薄いなと思いました。たとえばカサンドラ(・ウィルソン)と比べたらそんなにインパクトはなかったんです。だけどだんだん貫禄がでてきたというか、大御所感が出てきたというか、たとえばこのアルバムに入っている「夢のカリフォルニア」はママス&パパスのポップスですけど、気合が入ってるんで、ジャズに聴こえるんですよ。この貫録をちょっとハイレゾで聴いてみたいと思いますね。

 

Wallflower (Deluxe Edition)/Diana Krall

「夢のカリフォルニア」
(『ウォールフラワー』収録)

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後藤 僕はさっき、ジャズの聴きどころは楽器の質感とか音色だと言いましたが、同じようなことで言うとヴォーカルの聴きどころは声の質感だと思うんですよ。ハイレゾで聴くと、ダイアナ・クラールのハスキーな声にものすごくリアリティがある。必ずしも美声ではないかもしれないけど、存在感があって、それがものすごくハイレゾで生々しく再現されていました。

桑原 演奏家は一音で何を言わせられるかだと思います。ヴォーカリストはそれがもちろん声です。体の一部を楽器として使って、それを唸らせないといけない。この曲でいきなりイントロもなしに歌い出すというのはものすごいインパクトがあるし、すごいチャレンジなことだったんだろうなと思います。私もピアノでイントロなしでポンと入る時はすごい緊張するんです。1音目でぐっと引きつけなきゃいけないと考え始めると、どういう音を出そうかなって常に考えてしまう。この音源をハイレゾで聴くと、ダイアナ・クラールの息遣いもすごいリアルで、聴いているこちらも高揚します。

 

――続いては桑原さんご推薦、アンドリュー・ヒルの『ブラック・ファイアー』です。

後藤 このアルバムを選ぶのは面白いなと思いました。最近のニューヨークのミュージシャンには、アンドリュー・ヒルの影響を受けている人が多いんですってね。

桑原 そうなんですか。私は知りませんでした。

― チャールズ・ロイドのバンドなどで活動するジェイソン・モランはヒルの愛弟子のひとりです。デヴィッド・ワイスの“ポイント・オブ・デパーチャー”というバンドも、当初はかなりヒルの曲を演奏していました。西海岸のギタリストのネルズ・クラインも、ヒルの楽曲をカヴァーしたアルバムを出しています。

後藤 (ヒルの影響力を)無意識のうちに今のアメリカのシーンから聴きとっているのかもしれないな、興味深いなと思ったんですよ。

桑原 無意識のうちにはあるかもしれないですね。私は高校の時に初めて聴いてから、アンドリュー・ヒルが大好きなんですよ。

後藤 僕が聴き出した60年代は、アンドリュー・ヒルというと通好みだった。普通のファンはビル・エヴァンスとかオスカー・ピーターソンとかに行く。

桑原 私は彼の“色”が好きなんですよ。明るすぎないというか、ダークサイドで。

後藤 完全にダークサイドですよ。

桑原 そのダークサイドからずっと抜けない。

後藤 こげ茶色というかね。

桑原 ダークサイドにいるミュージシャンって、なにかしら明るい景色を見たくなるんですよ。でもアンドリュー・ヒルはずっと貫いているんです。それがすごいと思っていて。今日は「パンプキン」という曲を聴きたいんですけど、ロイ・ヘインズが変拍子が下手なんです。この曲って各コーラスの最後だけ5拍子なんですよ。ほかのパートはすごくスウィングしているのに、そこだけ固くなっていて、そこが人間らしさがありすぎて好きです。毎回その5拍子が来るとドラムがたどただしくなるんです。今の時代だったら“パンチイン”を使って差し替えもできますけど、それがない時代だからこその良さでもあるし、ロイ・ヘインズを好きになった瞬間です。

――あの名手ロイ・ヘインズにもそんな一面があった。人間味に惚れたわけですね。

桑原 そうです。

後藤 面白い好きになり方ですね。

――ではその5拍子のできなさに注目して、聴いていただきましょう。

 

Black Fire/Andrew Hill

「パンプキン」
(『ブラック・ファイアー』収録)

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――ドラムに注目して聴いたことがなかったので、新鮮でした。

桑原 絶対5拍子の時に止まるという。

後藤 確かに止まってますね。あと、先ほど僕はヴァン・ゲルダーの録音するピアノの音について言ったんだけど、その辺がハイレゾだと改善されているというか、聴きやすくなった。細かいトーンもよく聴こえて、濁り感みたいなものが少し払拭されている気がしますね。

 

――次は後藤さんご推薦のエグベルト・ジスモンチ『輝く水』です。開演前、後藤さんからの選曲リストでジスモンチを発見した桑原さんは、大喜びしておられました。

桑原 大喜びです。私もジスモンチは大好きです。私も後藤さんと同じアルバムを選ぼうとしました。

後藤 じゃあ、趣味が合ったわけだ。

桑原 合いますね。今までの人生で、3回ライヴを見てガチ泣きをしたことがあるんですけど、その1回がジスモンチです。一緒に来るはずだったパーカッションのナナ・ヴァスコンセロスが亡くなって、ソロ公演だったんですよ。練馬の文化会館だったかな。

後藤 僕も行きましたよ。

桑原 本当にかなわないと思いました。「音楽というのは僕にとってふたつにわけられる。今日まで僕が必要としてきた音楽か、明日から必要とする音楽か、その2種類しかない」という彼の言葉をきいたときに、音楽ってカテゴリーとかジャンルとかじゃないんだなって思いました。それで彼のライヴ演奏を聴いて、すべての音楽が彼の中で円でつながっているのが見えてきた。感動で震えちゃって涙が止まらなかったんですよ。私にとっては神様みたいな存在です。

後藤 僕も商売柄、ピアニストは生でもずいぶん見ているんですけど、目の前で聴いて本当にうまいと思ったのはジスモンチです。確か移転前の「ブルーノート東京」だったと思います。圧倒的、とにかくただ早いとかじゃなくて、ピアノの鳴りがものすごくきれいですよ、とんでもない人だなと思って、ノックアウトされました。ギターももちろんすごいし、純ジャズというわけではないかもしれないけど、とにかくこの人は別格だと思いました。

 

Dança Das Cabeças/Egberto Gismonti

『輝く水』
※2トラックで1曲のパッケージです

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――エグベルト・ジスモンチの素晴らしいピアノ演奏でした。聴いている時、桑原さんは「腹が立つ」とおっしゃっていましたね。

桑原 これで「ピアニストです」って言ってくれたらいいんですけど、ギターも超絶だし、マルチ・プレイヤーじゃないですか。それでこんなに美しいピアノの音色なので腹が立ちます。

後藤 「いーぐる」は最近、クラシックの講演もやるんですよ。林田直樹さんが「ラテン世界のクラシック音楽」という特集でジスモンチもかけました。林田さんに「ジスモンチはジャズの人じゃないですか」と言ったら、「クラシックのピアニストですよ」という。クラシック界ではクラシックのミュージシャンとして紹介されているんですね。僕は逆にそれに驚いたんですが、どういう部分で評価されているのかと尋ねると「完璧なテクニック」ということでした。ジスモンチの演奏は音の粒立ちがものすごくきれいで、しかもジャズ的なドライヴ感もあったりして、たまらないというかすごいですね。

桑原 ジスモンチのライヴを見たときに、「彼は自分のことをピアニストだと思ってないだろうな」と思ったんですよ。ものすごいテクニックがあるし、ものすごい音の粒立ちもいい、ピアノのことを熟知している感じがすごくするんですけど、彼自身はピアノに固執してないというか、大きな自分の音楽を表現するたるための手段がたまたまピアノだという意識があるんじゃないか。それをライヴでひしひしと感じて、それから私の音楽に対する見え方がすごく変わってきた。ピアノのための音楽ではなく、ピアノを手段として使う音楽のほうが視野が広がるし、ピアノに対してももっとシビアに自分のテクニックを見れたりするんです。

後藤 いま桑原さんがおっしゃったことは僕も実感します。視野が広いというか、ピアノのテクニックに固執しているわけじゃない。CDを聴いているとピアノからギターに移り変わるところもありますが、楽器が変わっているのに同じ流れで聴けちゃう。ピアノやギターに固執するわけじゃなくて、彼の音楽の世界の中で、自然にピアノやギターがあるということなのかな。CDを聴いていると自然に移行していくのがすごく不思議だったんだけど、桑原さんの意見を聞いてすごく合点がいきました。

 

――次は桑原さんご推薦のキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』です。 

 

ザ・ケルン・コンサート/Keith Jarrett

『ザ・ケルン・コンサート』
※ライヴ盤につき曲ごとにトラックが分かれておりません

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桑原 キースはピアノに固執している人だと思うんです。キースはジスモンチとは違って、ピアノがないと生きていけないっていう音がするんですよ。特にソロ・ピアノを聴いていると、腰もこの時期すごく悪くしていて、医者に「ピアノが弾けなくなるかも」って言われていたらしいんですけど、医者が言うことだから別にピアニストには当てはまらないだろうとずっとピアノを弾き続けた。そういうエピソードとかきくと、本当にピアノと生きていくために生きているんだろうなと思って。私もそこまでなれるのだろうか、とずっと考えていた時期があります。ピアノに対しても音楽の見え方に関してもジスモンチとは正反対なのかなと思います。それはそれで私はものすごく好きで、キースにしか出せない音は絶対ありますし、フレーズの一音がグサグサ来ますよね。ピアニストしては、ここまでピアノを愛したいなと思います。憧れます。

後藤 桑原さんの意見をきくとすごく目からウロコというか、実際に演奏する方の感じることって鋭いなとものすごく納得しています。もちろんジスモンチもキースも全然印象が違ってはいたと思っていたけれど、それを桑原さんは非常に的確な言葉にされたのには驚きました。おかしな話なんですけど、『ザ・ケルン・コンサート』って発売された当時、ジャズファンの間ではクラシック的と言われたんですよ。これは書き譜じゃないか、とか。でも今になって聴いてみると、とくにジスモンチの演奏と続いたせいもあるかもしれないけど、完全にキースってドジャズだな、っていう印象がありますね。なんでこれを70年代のファンはクラシック的だと思ったのかな。それは時代の違いを感じますね。

――ジャズ喫茶の大人気盤だったともうかがっています。

後藤 ものすごくリクエストが殺到して、いちばん最初に買った盤はすり減っちゃいましたよ。本当は良くないんだけど、リクエストが来ても断ったことがありました。レコードがかかって、それを聴いていたお客さんが明らかに入れ替わらないうちに、またリクエストが来るんです。それは「いーぐる」だけの現象じゃなくて、他のジャズ喫茶でもとんでもない頻度でかかっていましたよ。

 

――では次に、後藤さんセレクトでハービー・ハンコックの『処女航海』です。

後藤 使い古された言葉ですけど、60年代新主流派は、50年代のハードバップとは完全にテイストが変わっていた。2管クインテットでも50年代のソニー・クラークとかと比べるとぜんぜん違うでしょ。サウンドの違い、ジャズの空気感が変わったことの非常に象徴的な1枚が『処女航海』だと思います。別の言い方をすれば、個々のミュージシャンのソロよりも、トータルなサウンドが聴きどころになった。その一つのターニングポイントになった作品です。

 

処女航海(The Masterworks)/Herbie Hancock

「処女航海」
(『処女航海』収録)

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――ハンコックについて、桑原さんのご意見をいただけますか。

桑原 生きているレジェンドの中でも、群を抜いて新しい音楽を今でも提示している人だと思っています。ニューヨークに行った時とかにライヴを拝見しましたが、やっぱりレジェンドって言うと、今までいっぱい作ってきた作品があるわけで、それを引き継ぎながら今でもやり通している人はたくさんいらっしゃいます。けれどハービー・ハンコックは常に新しいものを求めていて、音楽からもそれが伝わってくるし、選んでいるメンバーからもそれが見えてくる。ただ若手を使っているだけじゃなくて、その人から何が引き出し、彼自身もいかに刺激を受けるか。それをすごい感じます。そして、こういう昔の名作を聴くと、この時期からプロデューサー的な目線があったんだろうなと思いますし、今生きているレジェンドの中で誰よりも尊敬しています。

後藤 桑原さんがおっしゃったことはよくわかる。ハンコックがプロデューサー的というのはマイルス・デイヴィスの影響もあると思いますよ。マイルスのサイドマンだったから。「処女航海」でいうと、とにかく最初のハーモニーからね、全然50年代のハードバップとは違うじゃないですか。あれはあれで素晴らしいですけど、50年代のブルーノートやプレスティッジの、深夜のクラブの濁った音みたいなイメージが、『処女航海』を聴くと、ジャケットのイメージもあるのかもしれないけど、青空が見えるような。実際にサウンドも見通しが良いし、冒頭の1,2音でもって聴き手のイマジネーションを刺激するというか、時代が変わったという一つの象徴ですね。

 

――このコーナー、ラストは桑原さんご推薦のオスカー・ピーターソン『ウエスト・サイド・ストーリー』です。

桑原 私が初めて聴いたピアノ・トリオなんです。衝撃を受けましたね。小4か小5のときです。その前からエレクトーンをやってて、コンクールに出る時に自分で選曲したのがリー・リトナーの「キャプテン・フィンガーズ」。アンソニー・ジャクソンのベースが好きになって、ジャズ・フュージョンにのめり込んだんです。それをさかいに、タワーレコードやディスクユニオンのジャズ・コーナーに行って……

後藤 小学生の時に? お小遣いをもらって?

桑原 「CD屋さんにいくからお金ちょうだい」って(笑)。お母さんと一緒に買いに行ったり、エレクト―ンの練習の前後にひとりで行ったり。とにかくジャズ・コーナーをア行から見ていく。タワーレコードのジャズ・コーナーにお勧めとしてピックアップされていたのがオスカー・ピーターソンの『ナイト・トレイン』、『ウエスト・サイド・ストーリー』、『ウィ・ゲット・リクエスツ』だったんです。お母さんに全部買ってもらったんですよ。それで『ウエスト・サイド・ストーリー』の「トゥナイト」を聴いて、なんだこれはって感激して、そこからジャズ・ピアノに熱中したので、このアルバムは有無を言わさず私の思い出の一枚なんです。では「トゥナイト」、お願いします。

 

West Side Story/The Oscar Peterson Trio

「トゥナイト」
(『ウエスト・サイド・ストーリー』収録)

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後藤 僕も最後までオスカー・ピーターソンを選ぼうかどうか迷ったんですよ。今までナマのピアノをずいぶん聴いてきて、全然タイプは違うんだけど目の前で聴いて圧倒的にうまかったのがジスモンチとピーターソン。圧倒的な音量なんだけど、まったくうるさくないんです。ダイナミック・レンジが広いということもあるし、音量がすごいんだけどうるさくない。人によっては音がデカいけどうるさい奏者もいるんですよね。そういう意味ではナマで聴いたピアノの中でジスモンチとピーターソンは突出してました。偶然かもしれないけど、桑原さんもそのふたり挙げていて、好みが合うなと思いました。圧倒的な名演ですね、これは。

桑原 ピーターソンとレイ・ブラウンのコンビは類を見ないですよ。

後藤 ブラウンは普通のベーシストと比べると前に前に引っ張っていくタイプだから、普通のピアニストだと煽られちゃう。だけどピーターソンは馬力があるし、ものすごくドライヴ感があるから、このふたりは合うんだよね。(ドラムのエド・シグペンとの3人が)黄金のトリオと呼ばれるのは当然だと思います。

 

――ここから、11月8日にCDリリース&ハイレゾ配信になる、桑原さんと石若駿さんのデュオ・アルバム『ディア・ファミリー』の世界初試聴会です。ピアノとドラムのデュオというのが、いきなり掟破りですね。

桑原 もう弾かなくていいだろうというぐらい弾きましたよ。とにかく私はドレミファソラシドを全部担っていたし、石若さんはリズムを全部担っていたし、常にバトルみたいな感じでした。ガチンコでやりました。

後藤 僕は事前に何回か聴かせてもらいましたが、ピアノとドラムという変則的なフォーマットなんだけど、音の隙間とか全然感じなかった。言われないでいるとトリオのような密度がありました。

――では早速、タイトル曲の「ディア・ファミリー」を聴いていただきましょう。今年4月からスタートしたテレビ朝日系報道番組「サタデーステーション」&「サンデーステーション」のオープニング・テーマとしてもおなじみの1曲です。

 

Dear Family/桑原あい, 石若 駿

「ディア・ファミリー」
(『ディア・ファミリー』収録)

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――後藤さん、この演奏に関していかがですか?

後藤 明らかに途中から良くなってきました。石若さんとのコラボレ―ションというか、執拗に絡んでくるでしょ。それに対して桑原さんは最初からがんばってたんだけど、演奏の中盤からしっかり受けて立って、完全にグルーヴしてて、後半すごく演奏が良くなっていた。

桑原 ありがとうございます。

――桑原さん、ハイレゾでご自身のプレイを聴いた感想は?

桑原 私はおととしぐらいまで自分の演奏を本当に聴けなかったんですよ。弾いている時を思い出しすぎて、聴けなくなっちゃうことがあった。でも最近は客観的に聴けるようになってきたし、この装置で聴けて良かったです。

――家では難しい音量でガツンと聴けるのもジャズ喫茶のいいところです。

後藤 それにジャズ喫茶はアトランダムにいろんなものがかかるからね、自分の好みと関係ないものがかかるから。

――「こんな盤があったのか」とか「こんなミュージシャンがいたのか」とか、ぼくはジャズ喫茶でずいぶん教わりました。視野が広がります。

桑原 この機会に、時間を見つけて足を運んでみようと思いました。

後藤 別に「いーぐる」でなくてもいいので(笑)、どこでもいいからジャズ喫茶に気軽に足を運んでほしいと思います。

――そして「いーぐる」は今年で50周年を迎えます。

後藤 まさか50年も続くとは思っていなかったけれど、やっぱりジャズを聴いてると面白いんだよね。儲かることは絶対にありえないけど、食えなくもなかった。最近は私の好みをさておいても、表現が切実に伝わってくるミュージシャンがいっぱい出ていますね。90年代からゼロ年代の頭ぐらいまでは、うまいのはやたら出たけど、オリジナリティのあるひとは少ないと思った。意地が悪い言い方だけどね。圧倒的にうまいんだけど、だからどうしたみたいな演奏がすごく多かったんですよ。ところがこの数年は単にうまいだけじゃなくて、ちゃんと表現したいものがあるというのかな。ここ数年ジャズ・シーンは新たなディメンションに入っていると思います。桑原さんはちょうどいいときにデビューしたと思います。

――最後に『ディア・ファミリー』から、もう1曲ご紹介したいのですが。

桑原 すごい破壊的なのにしますか?

後藤 ではその破壊的なのにしましょう。

桑原 「ドッグ・ダズント・イート・ドッグ・ワールド」です。

――この曲を聴いて終了したいと思います。ご出演は「いーぐる」後藤雅洋さん、ジャズ・ピアニストの桑原あいさんでした。ありがとうございました。

 


 

桑原あい プロフィール

洗足学園高等学校音楽科ジャズピアノ専攻を卒業。2012年1stアルバム『from here to there』でewe recordsからデビュー。
翌年2013年にリリースした2ndアルバム『THE SIXTH SENSE』でタワーレコード・ジャズチャート1位を獲得した他、JAZZ JAPAN AWARD 2013アルバム・オブ・ザ・イヤー:ニュー・スター部門、第26回ミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門ブライテスト・ホープ賞、およびJAPAN TIMES上半期ベストアルバム<ジャズ部門>など受賞多数。
同年第12回東京JAZZフェスティバル(東京国際フォーラム・ホールA)出演、また初の海外ツアーとなる、アメリカ西海岸4都市ツアーを成功させる。
2014年4月、3枚目のアルバム「the Window」をリリース。10月ブルーノート東京、名古屋公演を行う。
2014年モントルー・ジャズ・ソロ・ピアノ・コンペティション・イン・かわさき優勝。2015年4月、4枚目のアルバム「Love Theme」をリリース。7月本国スイスのモントルージャズフェスティバル、ソロピアノ・コンペティション出場し、このとき、桑原あいのソロピアノを聴いたクインシー・ジョーンズに「君の音楽こそジャズだ!」と大絶賛される。
2017年2月スティーヴ・ガッド(ds)、ウィル・リー(b)をメンバーに迎えニューヨークにて録音した5枚目となるオリジナルアルバムをリリース。同トリオで2017年6月東名阪でリリース・ツアーを行い全会場Sold Outとなった。

 

桑原あい 公式サイト

 


 

ジャズ喫茶 いーぐる 概要

住所:東京都新宿四谷1-8
TEL:03-3357-9857

営業時間:
平日 11:30~23:50
金曜 11:30~24:00
土曜 14:00~23:50(朝日カルチャーセンター開講日に限り 15:30~23:50)
日曜・祭日 休業

 

ジャズ喫茶 いーぐる 公式サイト