「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」はプリンスがあの人に捧げた曲だった。プリンス専属レコーディング・エンジニアだったスーザン・ロジャースが語る楽曲秘話とは。

未発表だったスタジオ・ヴァージョンの「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」が公開されたプリンス。多作なプリンスの専属のレコーディング・エンジニアとして、アルバム『パープル・レイン』から『ブラック・アルバム』まで、絶頂期のプリンスの音源をレコーディングし続けたスーザン・ロジャースが日本のために、「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」の秘話を語ってくれた。

 

「Nothing Compares 2 U」

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――「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」はメロディも歌詞も感動的な楽曲ですが、収録しているときから、この曲は特別なもので、多くの人に愛されるという予感がありましたか?

スーザン:いいえ。だって他の曲も同じくらい素晴らしかったから・・・。例えば「Strange Relationship」とか「She’s Always In My Hair」は私の大好きな曲だし、他にも結果的に『Around The World In A Day』に収録された「Raspberry Beret」、「America」、「Condition Of The Heart」など本当にすごい曲がたくさんあったしね。当時彼はそういう、信じられないほど素晴らしい曲を山ほど書いていたの。「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」はその中の1曲だった。彼はすごい勢いで次から次へとレコーディングしていたから、プリンスにとってもこれは特にスペシャルな曲というわけでもなかったわ。

 

――この曲を聴いたとき、プリンスが特定の人物にささげた楽曲だと思いましたか?

スーザン:特に誰かにささげたという風には思わなかったけど、ある人の存在がヒントになっているかもしれない感じはしたわ。それはサンディ・シピオニという女性で、ごく初期の頃からプリンスの家で働いていたの。そもそも彼女はドン・バッツ(スーザンの前の、プリンスのレコーディング・エンジニア)のガールフレンドで、ハイスクールを出てすぐ、18歳の時にプリンスの家で働き始めたんだけど、あるときお父さんが突然亡くなってしまい、実家に帰ってしまったの。彼女の仕事は冷蔵庫の中に食べ物を入れて、洗濯をして、家の中をきれいにすること。「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」の中に”All the flowers that you planted, In the backyard all died when you went away(きみが植えた裏庭の花はきみがいなくなって枯れてしまった)”という歌詞が出てくるんだけど、お花の世話をしていた君、というのは彼女のことなの。そうやって住み心地の良い家にすることが彼女の仕事だったのよ。彼女が突然実家に帰ってしまったあと、プリンスの機嫌が悪くなったことはすぐにわかったわ。家のことをきちんとやってくれる人がいなくなってしまったからね。だからサンディがいなくなってしまったことにインスパイアされて、彼はこの曲を書いたんじゃないかと思うの。当時彼は「サンディはいつ戻ってくるんだ?」とか「あとどのくらい不在なんだ?」っていつも聞いていたわ。彼女がいなくなって苛立っていたのよ。ある日、ウェアハウスで彼は突然ノートを持って別の部屋に行き、数時間後に戻ってきてそのノートをコンソールの上に置いたの。最初の歌詞は”It’s been seven hours and thirteen days since you took your love away (きみが愛を連れ去ってから、13日と7時間がたつ) ”だった。サンディに戻ってきてほしいんだって思ったわ。これはラブソングじゃないの。彼女はプリンスの恋人じゃなかったから。でもこの曲のインスピレーションになっているのはサンディだと思うわ。

この曲の中には”I know that living with me baby Is sometimes hard, sometimes hard But I’m willing, I’m willing to give it one more try(俺と暮らすのがつらいこともあったはず、だけどもう一度やり直したいよ)”という歌詞もあるんだけど、当時プリンスの家に住んでいる唯一の女性はサンディだった。この曲は一緒にいた誰かがいなくなってしまったことを歌っているの。だから彼女からインスパイアされたという可能性があると思う。ただ、当時彼はスザンナ・メルヴォワン(ザ・レヴォリューションのギタリスト、ウェンディ・メルヴォワンの双子の妹)と付き合っていて、彼女はロサンゼルス、プリンスはミネソタに住んでいたからスザンナが恋しかったことも確かだと思うわ。

 

――プリンスはこの楽曲を自分のために書いたのでしょうか?それとも当初から、The Family (ザ・タイムの元メンバーが結成したバンド)のために書いたんですか?

スーザン:それはわからないわ。彼はこの曲を書くとすぐにThe Familyにあげたの。彼自身も誰のためかわからなかったんじゃないかしら。当時彼は自分のアルバムに収録するか、他の人にあげてしまうかを決める前に曲をレコーディングしたことがあったの。でも考えられるのは、当時彼はプリンスの名前ではあの曲をリリースしたくなかったんじゃないかと思うの。これはあくまでも私の想像だけど、多分彼はこの曲を聴いた人たちが持つ印象と、自分が人にこう思われたいという姿が一致しないと思ったんじゃないかしら。自分が誰かと一緒に暮らしていると思われたくなかったのよね。実際、当時彼は誰とも一緒に暮らしていなかったし、恋人に頼っているという部分はなかった。だからこれはThe Familyのポール・ピーターソンが歌うのがベストだと思ったんじゃないかしら。

 

――エンジニアリングにおいて、スーザン・ロジャースさんの哲学はどういったところにありますか?

スーザン:プリンスとの仕事は他の人とは違っていたわ。プリンスと仕事をしていたときは黙って、すべてを素早くこなすように心がけていたの。サウンドや機材に関して実験的なことはやらない。それは作業のペースを落とすことになるからね。彼が歌詞を書くためにちょっとその場を離れたときに実験的なことを試すことはあったけど、私の仕事はレコーディングをスムーズに進めることだった。問題がないか確認して、作業が滞らないようにすることが私の役目だったの。だから例えばどのマイクを使うか、EQやリバーブをどうするかなど、すぐに判断して、とにかく速く、速く、作業を進めていたわ。他のアーティストの場合は時間の余裕があるからちょっとペースを落としてサウンドに関してアーティスティックな決定を下したりすることが出来る。プリンスは私にはアーティスティックなことは求めず、レコーディングの技術だけを要求したわ。レコーディングがスムーズに進めば彼がアイディアをすぐに形にできるから。あるとき、当時みんなが使っていた新しいSSLコンソールに興味があった私は、プリンスにそのことを言ったことがあるの。他の人が使っている新しい機材を使ってみたら面白いんじゃないかって。そうしたら彼が「他の人と僕らの音楽は違う。だから僕らはグレイトなんだ」って。私は別に他の人たちが彼よりいいと言っているんじゃなくて、ちょっとだけペースを落として、新しいテクノロジーを試してみてもいいんじゃないかって思っただけんだけどね。基本的に彼は私に自分の理想のエンジアになるように指導してくれて、私もそれを楽しんでいたわ。

 

――昨今取りざたされている「ハイレゾ」について、スーザンさんはどのように捉えていらっしゃいますか?

スーザン:ハイ・デフィニション・テレビジョンと似ていると思うの。ハイレゾは今までよりリアルな音を楽しめるものよ。コントロール・ルームでエンジニアたちが聞いているサウンドに近いものが聴ける。でも面白いことに、ハイ・デフィニション・テレビがあるのに、実際はスマホで映画を観ている人がすごく多いの。スマホで映画なんて最悪じゃない?でもみんな気にしていないの。なぜなら映像のクオリティより、映画のストーリーに興味があるから。音楽も同じだと思うの。アルバムを買うのは、サウンドを買うのではなく、音楽を買うの。「他の人と同じサウンドである必要なない。人は僕たちの音楽を買うんだから」って言ってたプリンスは正しかったわ。「音楽が面白ければ、みんな金を払ってそれを買うんだ」ってね。ハイレゾはクオリティを求めている人に取っては素晴らしいと思うわ。でも音楽に取って絶対に必要なものではないと思う。ハイレゾでもアナログでも人は音楽を楽しめるんだから。

 

――日本のプリンス・ファンにメッセージを。

スーザン:音楽を忘れないこと、風化させないことは大事なことだと思うの。プリンスの音楽、彼が残した遺産を今も存続させてくれているファンの人たちに感謝しているわ。どうもありがとう。彼の残したものをファンが大事にしてくれているおかげよ。世界中のファンが彼の音楽を今でも愛してくれているのはとても嬉しい。できれば若い人たちも素晴らしいシンガーであり、プレイヤーであり、ソングライターであり、立派な人間的だったプリンスのことを知ってほしいと思っているわ。彼は本当にグレイトな人だった!

 

当時誰かと一緒に住んでいると思われたくなかったプリンスが、2人の女性、サンディ・シピオニとスーザン・メルヴォワンを想いながら、書いたのではというスーザン・ロジャースの推理はいかがでしたでしょうか。ちなみにこの曲は84年の7月にミネソタ、エデン・プレイリーのクラウド・ドライヴ・ウェアハウスでレコーディングされています。

バック・ヴォーカルにはスザンナ・メルヴォワン自身とThe Familyのポール・ピーターソンが参加し、スーザン・ロジャースがレコーディング・エンジニアを務めています。

 

スーザン・ロジャース

 


 

「Nothing Compares 2 U」

名バラード「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」のスタジオ・ヴァージョンがヴェールを脱いだ。スタジオ・ヴァージョンの「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」はプリンスのカタログで極めて貴重なものの1つ。このスタジオ・ヴァージョンは84年の7月にミネソタ、エデン・プレイリーのクラウド・ドライヴ・ウェアハウスでレコーディングされた。アルバム『パープル・レイン』がリリースされた直後のことである。このトラックはプリンスにより書かれ、アレンジされ、演奏され、プロデュースされた。サックスはエリック・リーズ、バック・ヴォーカルはスザンナ・メルヴォワンとポール・ピーターソン、スーザン・ロジャースがエンジニアを務めている。もともとはプリンスの弟子でペイズリー・パークのレコーディング・アーティストだったザ・ファミリーの1985年のセルフ・タイトル・アルバムに収録されていた。最も有名なのは、1990年のシニード・オコナーのヴァージョンで、世界中でNo.1となり、4600万回、Spotifyだけでストリーミングされている。ライヴ・ヴァージョンは1993年の『THE HITS / THE B-SIDES』に収録されている。

さらにこの楽曲のビデオ・クリップでは、こちらも未発表映像となるプリンス&ザ・レヴォリューションのリハーサル映がフィーチャーされている。この映像を見れば、プリンスがいかなる時もアーティストとしての自分と真摯に向き合っていた姿勢を感じ取ることができるだろう。